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さらさちこ

『ラーゲリより愛を込めて』 辺見じゅんさん原作、『収容所から来た遺書』の映画化。 映画では「希望」とあったが、「憧憬」と思う。それは、V.E.フランクルも書いている通り。私も虚無の世界に引き込まれそうになった時、ふと見上げた夜空に満天の星が輝いていた。見惚れて我を忘れた。己の漆黒に飲まれていたら今はない。映画にもフランクルにも通じる事と沁々思う。 人の思いは尊い。だから、広がりを見せ、信念のように伝わってゆくのだろう。 遺書を伝えた4人は、自分の中の山本を見出だした。神は雛形のように人に宿っていると読んだ事があるが、その善性は正に山本だった。 それてしまうが、私は別れの際には、必ず笑顔でいる。泣くと相手が引き摺るからだ。 私が奥さん役なら、訃報を知った時、庭にのたうち回り土を口に頬張り、嘘つきと号泣しただろう。 本当は、もっと過酷だったに違いないのだ。 若い子が殆どでほぼ満席で、啜り泣きが聞こえた。 ああ、しかし、心がぐちゃぐちゃになり、感想にならない。

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さらさちこのトーク
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  • さらさちこ
    見城徹見城徹

    また日曜日になった。70年間3800回ぐらい日曜日を迎えて来た。日曜日が終わり、また日曜日が来る。それを繰り返して人間は土に還る。本当は、時間などない。時間は人間が作った概念であって、あるのはただ肉体の成長と衰弱だけだ。生まれて死ぬだけだ。時間という概念の発明は言葉の発明と共に人類の最大の発明である。正確な言葉で思考する。言葉によって発想された時間という概念で、生まれて死ぬまでを過ごす。100年後も1000年後も10000年後もやがてすぐに来る。宇宙という摂理の中に人は一瞬の間、ただ在る。その悠久の中で一瞬、足掻く。泣く、笑う、怒る、喜ぶ。全ては死を迎えるための準備なのだ。徒労。それこそが人生。そう思えば今日の困難と憂鬱は何ほどのこともない。忍びて終わり悔いなし。

  • さらさちこ
    見城徹見城徹

    言葉は生き方を決定します。言葉によって人は行為するのです。行為した時、言葉はその人の中で肉体化されるのです。ですから、言葉と行為は表裏一体です。その時、言葉は説得力を持ち、人を動かします。そこに結果が生まれます。言葉→行為→肉体化→結果→新しい言葉。生きるということはこの繰り返しです。

  • さらさちこ
    見城徹見城徹

    ⬆︎ 有難う。嬉しいけれど、吉田松蔭の「覚悟」と「実践力」には遠く及びません。自分の信念を貫き通すために現実の踏絵を踏み抜き続けた正に狂気の人。29歳で斬首刑。水平に飛んだ駒鳥は木に激突して早くに命を落とすのです。66歳まで生き永らえている僕は凡人です。

  • さらさちこ
    見城徹見城徹

    一日一日は確実に過ぎて行く。一年後の人間ドックの日がすぐ来るように、僕が地に還る日もあっという間にやって来る。信じられないけれど、僕はこの世界から消えて無くなる。僕が生まれた前に戻る。人生は一夜の夢。だから、今日一日を熱狂して生きる。

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  • さらさちこ
    さらさちこ

    終わることだけが平等に来ることは分かります。太古からの様々な最期に思いを馳せると、明日も頑張ろうと思えます。