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  • さらさちこ
    さらさちこ

    茂夫さん、検索してやっと辿り着きました。チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲。スラブの陰鬱な感傷的情緒に加えて、圧倒的躍動感と生命力。この先もう出ないだろう圧倒的努力の上に勝ち取った天才だ。安倍さんと同じ。

  • さらさちこ
    さらさちこ

    「言霊の幸はふ国」
    「神ながら言挙げぬ国」
    これは、一見矛盾するが如く見えて、実は矛盾ではないのである。かくて一旦言挙げずる以上は、必ず行ふべきである。否、まことの言葉、言霊たる以上は、必然に行はるべきである。かく言葉が行となり得る根底にはまことが存する。
    まことには、我があってはならない。一切の私を捨てて言ひ、又行ふところにこそ、まことがあり、まことが輝く。
    『国体の本義』第一 大日本国体 四、和と「まこと」
    昭和12年3月30日発行
    文部省教学局編纂

    焚書

  • さらさちこ
    さらさちこ

    5回も見た相撲のドラマ
    「サンクチュアリ 聖域」
    稽古から撮影まで2年半。
    主演一ノ瀬さんの身体の変化には目を見張る。
    最初のシーンのテレビ放送や、壁の張り紙(特に猿谷と親方が病院に居るシーン)まで、伏線が引いてある。
    ここに、4人の母が出て来る。この対比が興味深い。猿桜と静内の実母、あと二人は相撲部屋の女将さん。
    猿桜と静内は、親が借金まみれで生活が困窮している点で境遇が似ているが、静内の母は弟と命を断ってしまうのだ。以来幸せな子供相撲を心の支えに生きる静内。一方、猿桜の母は、醜態晒しても何をやってでも生きて抜く。嫌悪感さえ抱くが、相撲をやめようとする猿桜を、体を張って張り倒した時に神々しささえ感じる不思議な役どころだ。直後の猿桜の慟哭は、力士猿桜の誕生であり産声でもある。昔教科書で習った I was born、まさに生まれさせられたのだ。
    そこからのトレーニング、次第に心も身体も整い、礼節が身につく。そうして聖域に辿り着く。
    入門当初は練習が、いじめのようなしごきに見えたが、生まれ変わってからは鍛錬にしか見えなくなる。
    途中の猿谷の断髪式は、涙なしでは決して見れないし、「バカヤロー、おまえはこれからも、自慢の息子だ」という親方の言葉と、奥で見守る女将さんの着物に落ちる涙に涙腺崩壊する。
    最後は、実生活でも、待ったなしの猿桜と静内の土俵シーン。仲間の有無や母の在り方の違いが、勝負にどう出るか、続きが見たくなる。
    相撲好きには堪らない作品だ。

  • さらさちこ
    さらさちこ

    「オッペンハイマー」

    多分もう一度は必ず観に行くだろう。
    私の生まれが広島で、被爆した者も身内に居る。しかし、最初から濁ったフィルターを通して、観るのだけはやめようと思っていた。
    嫉妬という字は、女偏を使うが、男の嫉妬ほど狂気じみたものはないと思っている。闘争心の根底に仄暗く流れているのだ。
    禁断の果実として、青林檎そしてジーンや原爆と、オッペンハイマーの心のゆらぎが細やかに描かれている。天才の孤独は満たされたい欲求へ繋がっている。
    結局、原爆は神の領域を超えることのない、禁断の林檎のような試金石であったのだ。
    楽園から追放され、茨の道を歩くという事を、人間は繰り返しているに過ぎない。
    全能感を持って成しても、人間の欲望を抑える事は出来ないのだ。それに気付きオッペンハイマーは失望したと思う。
    3時間という長丁場だが、寧ろ短いとさえ思えた。
    IMAXでないと、価値が半減するので、劇場で観るべき作品。