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のりこのトーク

大阪市玉造生まれ。旧制中学卒業後、1941年(昭和16年)慶應義塾商業学校(慶應義塾大学の夜間商業学校)に入学。落第生で卒業が危ぶまれたため、慶應義塾の教授に薦められ、1944年(昭和19年)、熊本県人吉の予科練に入隊した。そこで半年間の訓練を受けた後、宮崎県の宮崎海軍航空隊(後の松島海軍航空隊、陸上攻撃機)所属を経て、鹿児島県の鹿屋飛行場に移る。特別攻撃隊員として終戦を迎えた。 戦後は図書館職員を諸事情により職場放棄、ラーメン屋を開業するが火事で廃業、株売買の代理店を始めるがスターリン暴落による大暴落で1億円の負債を抱え借金取りに追われ、そば屋の店員、菓子店のセールスマンなど職を転々とする。33歳のとき結婚するが、結婚早々妻が大阪の実家に帰り、連れ戻そうと迎えに行ったことがきっかけで自殺してしまうという事件があり、ショックを受けて以後抜け殻のような生活を送る。その後39歳のとき得度し比叡山延暦寺に入る。千日回峰行に挑む前には、明治時代に死者が出て以来中断していた「常行三昧」という厳しい行を達成。

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