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Takumi Keita

今回は、「足なし禅師」と呼ばれた禅僧・小沢道雄師のお話です。 大正9年生まれの小沢氏は、幼年期に曹洞宗の専門道場で修行。 戦争で満州へ赴きます。 ───────────────── 『致知』2007年3月号 特集「命の炎を燃やして生きる」より ───────────────── 昭和20年、25歳で敗戦。シベリアに抑留され強制労働。 だが、肩に受けた銃創(じゅうそう)が悪化し、 役立たずは不要とばかり無蓋(むがい)の貨車で 牡丹江の旧日本陸軍病院に後送される。 氷点下4、50度の酷寒に夏服のままで、 支給された食料は黒パン1個、飲み水もままならず、 3日間を費やした行程で死者が続出した。 小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に侵された。 膝から切断しなければ助からない。 その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが初めて。 麻酔薬もない。 メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、 小沢師はこの軍医に切られるなら本望だと思い定めた。 想像を絶する激痛。 歯がギリギリ噛み合い、全身がギシッと軋(きし)んで硬直した。 すさまじい痛みは1か月余続いた。 八月に突然の帰国命令。 歩けない者は担架に担がれ、 牡丹江からハルビン、奉天を経てコロ島まで、 1,500kmを徒歩で行くことになった。 だが、出発して3日目の朝、 目を覚ますと周りには誰もいなかった。 満州の荒野に置き去りにされたのだ。 あらん限りの大声で叫んだ。 折よく通りかかった北満から引き揚げ途中の開拓団に救われたのは、 僥倖(ぎょうこう)というほかはなかった。 崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、 福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。 母と弟が面会に来た。 「こんな体になって帰ってきました。  いっそのこと死のうと思いましたが、  帰ってきました」 言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、 小さく言った。 「よう帰ってきたなあ」 母と弟が帰ったあと、 小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。 懊悩の日は続いた。 気持ちはどうしても死に傾く。 その果てに湧き上がってきた思いがあった。 比べるから苦しむのだ。 比べる元は27年前に生まれたことにある。 27年前に生まれたことを止めて、今日生まれたことにしよう。 両足切断の姿で今日生まれたのだ。 そうだ、本日たったいま誕生したのだ。 足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、 痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、 生まれてきたのだから、何も言うことなし。 本日ただいま誕生! 深い深い覚悟である。  1、微笑を絶やさない  1、人の話を素直に聞こう  1、親切にしよう  1、絶対に怒らない 小沢師はこの4つを心に決め、 58年の生涯を貫いた。 命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。 * * * * * * 

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It's a piece of cake.
トーク情報
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    最も強い魂は受難から生まれる。最も大きな人格は切り傷に覆われている。
    カーリ・ギブラン

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    才能の差は小さいが、努力の差は大きい。継続の差はもっと大きい。才能のあるなしを気にかけるより、努力の質を高め、継続を心掛けたい。大野智

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    人はみな仮面をかぶるが、長くかぶり続けると皮ごとはがさないと外れなくなってしまう
    アンドレ・ベルティオーム

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    アレックス・ザナルディ 「自分の人生は果てしなく恵まれている」
    2016年9月15日

    元F1ドライバーのアレックス・ザナルディが、リオパラリンピックの男子ハンドサイクル個人ロードタイムトライアル(H5)で優勝し、前回大会のロンドンでのH4クラスに続きパラリンピックで2年連続金メダル獲得という偉業を達成した。

    F1で41戦に出場したアレッサンドロ・ザナルディは、CARTに参戦していた2001年のドイツ・ラウジッツリンクでの大事故で両脚を失った。

    金メダルを獲得したアレックス・ザナルディは「とても幸運だと感じている」とコメント。

    「自分の人生は果てしなく恵まれていると感じている」

    「最初のポールポジションを獲得したインディカーのサーキットとして使われていた土地の一部に建つオリンピックスタジアムに今こうしていることは、私のようにロマンチックな男にとってはかなり特別なことだ」

    「神様にはもっと心配するべきことがたくさんあると信じているので、私は普段こういったことで神様に感謝したりはしないが、今日は本当に素晴らしかったので、目を上に向けて神様に感謝した」

    「私の事故、わたしの身に起きたことさえ、人生における最大のチャンスとなった。今やっていることの全ては、私の新しい状況に関連している」

    「ある状況になってしまったら、自分の目指す場所を見極め、その日に達成できることに集中しなければならない」

    「それが小さな目標であっても大きな目標であっても、ひとつずつ実現していくことができる」

    「当時、レースマシンに戻ることができるかと質問されたが、私にとって重要なのは一人でトイレに行って用を足すことだったが。それができなかった」

    「助けが必要だった。それが最優先事項だった。1日1日、コントロールと体力を取り戻し、自信を取り戻し、違うことに集中できるようになり、そして今の私がある」

    http://f1-gate.com/other/zanardi_32849.html

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    Takumi Keita

    やる価値のあるものというのは時間がかかるものだ。100の悪い曲を書いてやっと1つの良い曲が書ける。それに、予期せぬ犠牲をたくさん払わなければならない。好もうと好まざろうと、その過程は自分独りで進むもの。自分だけの運命の星を追いかけなければならないのさ
    ボブ・ディラン