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三上雅博

↑ おはようございます。 2019年5月の親父の投稿のリトークです。 想像力。集中力。圧倒的努力。 目の前のやるべき事から目を背けて夢を語るな。今日も三歩進んで二歩下がる。そうやって一歩でも前に進め。 I Will Go to War! 皆様本日も宜しくお願い致します。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 初めて言いますが、「僕らも辛かったけど尾崎はもっと辛かった。だから、尾崎自身もホッとしたんじゃないか」とあの瞬間感じたんです。尾崎はあれ以上生きられなかった。あれ以上は辛過ぎた。あれが限界だった。つまり、あれが寿命だった。尾崎豊は尾崎豊の生を全うした。今でもそう思います。
    こんな風に言うのは不謹慎ですかね。

  • 三上雅博
    削除されたユーザー削除されたユーザー

     福岡から出て、松戸に住み始めた頃、朝はヘヴィメタルを聴いて出かけ、夕方や夜帰宅する時は、よく尾崎を聴いた。
     小高い丘の上にあった壁に隙間のあるボロアパートを根城に、東京の街を歩き回って、帰宅する時、坂の上に大きな夕日が見えることがあって、その時に『坂の下に見えたあの街に』を聴くと郷愁に締め付けられてなきそうになった。
     新宿のションベン横丁で仲間と飲んだ帰り、常磐線から見た街明かりに『ドーナツショップ』『誰かのクラクション』が良く似合ってた。慣れない都会に翻弄される僕にとって、尾崎の曲は欠くことできない日常としてそこにあった。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 尾崎の死後20年以上、僕は尾崎豊の歌を聴けませんでした。カラオケで誰かが尾崎の歌を歌う時は終わるまでトイレに行く振りをして部屋を出ていました。最近やっと尾崎の歌を聴き、尾崎の歌を歌えるようになりました。

  • 三上雅博
    GreenjaysGreenjays

    ↑尾崎さん自身が重荷から解放された事を思い労われ「ほっとしたね」とお二人で話されたのかと理解させて頂きました。

    20年間、歌すらも聴けずにいた痛みがどれだけのものか想像を絶します。それほどの痛みも時が癒してくれるものなのでしょうか。

    あの日も爽やかに晴れていたんですね。改めてご冥福をお祈りいたします。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 優しい言葉を有難う。しかし、違うんです。ここは正確に言わねばならない。僕は尾崎豊から解放されたかった。地獄の道行きはもう沢山だ。尾崎がいなければどんなにか楽だろう。毎日、七転八倒しながらそう考えました。僕が死んでもおかしくない。そんな日々でした。だから、自分のためにホッとしたんです。
    しかし、28年経ってこう思います。
    生きている限り毎日は地獄だ。それが当たり前だと思って生きるしかない。地獄を引き受ける。忍びて終わり悔いなし。I Will Go to War!
    哀号。押忍!

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2020年4月の親父の投稿のリトークです。
    他の方の投稿も一緒にリトークさせて頂きました。

    僕の青春のバイブル。尾崎豊。
    中学校の卒業アルバムに「卒業」の詩を書きました。

    あと何度自分自身卒業すれば
    本当の自分にたどりつけるだろう
    仕組まれた自由に誰も気づかずに
    足掻いた日々も終わる
    この支配からの卒業

    僕は尾崎豊も坂本龍一も、吉本隆明の事も羨ましい。その死後も自ら命を捧げた作品は永遠に残り続けるのだから。
    僕が死んでも何も残らない。ただ終わりが来るだけだ。それでもやるしかない。
    忍びて終わり悔いなし。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    おはようございます。

    今日は2024年12月29日。
    親父の74歳の誕生日。
    Happy Birthday。
    僕は親父に出会えて幸せです。

    2020年4月の親父の投稿のリトーク。
    写真を文字に起こしました。
    ↓↓↓

    「人間的な、あまりにも人間的な」

    初めて吉本隆明の詩篇に出会った時の衝撃は、今も胸に刻まれている。
    自分の身体の奥底から吹き出してくる説明し難い感覚を、それは明瞭に言語化していた。表現することの出来ないパッションと硬質なセンチメントが美しい旋律となって、これこそ僕の気持ちだ、と溢れ出る涙を止めることが出来なかった。
    この四十年間「転位のための十備」だけは、週に一回は読み返す。僕が少しでも過ごす場所には吉本隆明の詩集を置いていて、いつでも読める体勢になっているのだが、すでに全備暗記してしまっているのに、読むとまた、涙が溢れる。
    邪道な読み方かもしれないが、不可能だと思えることに決然と挑もうとする時、僕は吉本の詩篇を暗誦する。そのようにして幻冬舎は、今、ここに在る。
    「マチウ書試論」も何百回と読み返しているが、その度に新しい発見がある。
    吉本隆明は、最も深く衝撃をうけた作家・作品は?という問いに、ファーブル「昆虫記」、編者不詳「新約聖書」、マルクス「資本論」の三冊を挙げ、続いて、戦後、最も強く衝撃をうけた事件は?という質問には、「じぶんの結婚の経緯。これほどの難事件に当面したことなし」と答えている。その直後の、最も好きな言葉は?には「ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、・・・・・・」とマタイ伝23の37の言葉を記しているが、吉本にとっての人妻を恋するという内面のドラマが、どれだけ思想の形成に深く関わったかを読み取る時、僕の生きるという営みが影絵のように重なり合って、毎回、慄然とする。
    吉本の個人的難関は、「マチウ書試論」だけではなく、すべての吉本の作品に影を落としているはずだが、それが新たな全集で発見できると思うといやが上でも興奮が高まってくる。この全集を読むことは僕の晩年の最大の個人的な事業になるはずだ。
                  見城徹

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