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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ 尾崎豊の事務所[アイソトープ]を作る時、
    尾崎豊と鬼頭明嗣を連れて尾崎の実家を訪ね、ご両親に仁義を切った。玄関近くの狭い日本間のちゃぶ台に出前の鮨が並び、ビールで乾杯をした。ご両親は大喜びで迎えてくれて、僕はホッと胸を撫で下ろしたのを覚えている。角川書店(現・KADOKAWA)のサラリーマンでありながら尾崎豊の事務所を作るなどと言う無謀なことをよくしたなあ、と今となっては思う。
    あの日が無ければ尾崎豊は復活しなかった。
    しかし、あの日が無ければ尾崎豊は死なずに済んだかも知れない。今さら考えてもしょうがないことだけど。
    あの日、尾崎豊の実家からの帰り道、僕たちは希望に溢れていた。

  • 三上雅博
    三上雅博


    今日は遅くなってしまいました。2021年7月の親父の投稿のリトークです。

    僕は尾崎豊が亡くなった後に尾崎豊の歌に出会いました。「15の夜」を初めて聴いたのが僕が中1くらいだった気がします。その時既に尾崎豊はもうこの世にいなかった。しかしその事実が僕の中の尾崎豊を伝説のカリスマにたらしめたのです。
    親父がジムで尾崎と再会していなければ、僕が卒業アルバムに尾崎豊の歌詞を書くことも無かったのだ。僕は運命に導かれて、今を生きている。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    久しぶりに体調が悪過ぎます。高熱が出ています。今日はトレーニングはキャンセルしてとにかく眠ります。営業が無くて助かった。
    まぁ営業が無いから体調が悪くなるのだけど。気合いで一日で治す。

  • 三上雅博
    三上雅博
    投稿画像

    昨日は「HIPHOPのキング」「孤高のHIPHOP」AK-69さんにご来店頂きました。
    お会いできて光栄でした。
    ちなみにAK-69さんが音楽を始めたきっかけも尾崎豊の歌に感動したかららしいです。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    32歳の夏の丁度今頃。当時の恋人とのドイツ旅行は鮮やかに記憶に残っている。1ヶ月の休暇を取ってベルリン夏季大学の美術の講座を受講していた彼女と西ベルリンで落ち会って、8日間のドイツ国内の田舎を鉄道で巡る旅に出たのだ。ドイツの小さな町々は時間が止まったように中世の面影を残して佇んでいた。家族経営のホテルに泊まり、歴史的遺跡を辿り、ホフブロイハウスで他の客と肩を組んでビールを飲んだ。陽はなかなか落ちず一日が長かった。
    彼女はドイツ語が堪能で全てが快適だった。
    西ベルリンで買ったジョルジオ・アルマーニの革のブルゾン。馬車に乗って訪ねた霧のノイシュヴァンシュタイン城。異世界に酔い痴れた移動サーカスのテント……。あの夏は二度と戻って来ない。

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  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2021年8月の親父の投稿のリトークです。

    人生と言う旅路の中には、いつまでも色褪せる事ない忘れられない思い出がある。
    親父が創り出すこんなにも美しい文章によって、その情景や感動を想像の中で体感させてもらえる。言葉によって過去の思い出は美しい物語として昇華する。経験が人生を豊かにしてくれる。感動が心を豊かにしてくる。
    親父のこの文章を読んで心が震えました。その美しさに感動しました。痺れます。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    体調復活!
    気合いで治しました。まだフラフラするけどなんとかなりそうです。
    ただトレーニングに行けなかった事が悔しくて悔しくて。自分が情けなくて悲しいです。

  • 三上雅博
    三上雅博
    投稿画像

    AK-69さんがInstagramであげてくれてるよと、お連れして頂いた会員様から送られて来ました。嬉しいお言葉を有難う御座います。