東京国際映画祭で「スヴェタ」を観てきた。
ろうあの主人公スヴェタは、二児の母。同じくろうあの夫ともにアパートで4人暮らし。共働きでなんとか生活を維持していたものの、世の不況の波には逆らえず、ローンを滞納しがちで、ついに立ち退きを言い渡されてしまう。さらに、追い討ちをかけるように、勤め先ではリストラを宣告され、彼女は窮地に追い込まれる。頼りない夫にイライラしながらも、それでも、子供達だけはどんなことをしてでも自分の手で守っていきたいと強く思う彼女は、予想もつかないとんでもない行動に出る。そんな映画。
善悪やら、良心やらは、生活に余裕のある人間の戯言に過ぎない。そんなことグダグダ言っていたら子供たちは本当に地獄(養護施設)に連れて行かれてしまうのだ。
いやしかし、スヴェタの行動や言動は本当に強かで、観客も苦笑いしていた(笑)肝っ玉母ちゃん、なんて可愛らしい言葉では言い表せないくらい、悪い意味で「したたか」な女性だな、と思った。彼女には良心の呵責の欠片すらないのかと、頭を抱えながら観た。
でも、そんなスヴェタがとてもリアルだったのも確かで。実際…厳しいもんな…、と彼女がした事を受け入れざるを得ない自分もいた。これが、この作品が切り取った現実という力だと思った。自分はどうしても、彼女を心から非難することができなかったのだ。
ときに、音楽というのは、脚本や役者の演技と同様に、映画にとっては必要不可欠なものだ。観客は、役者のセリフや演技よりも、決定的なシーンで流れる音楽によって心を震わせることが多々ある。音楽がないと成立しない映画なんて山ほどある。
しかし、この作品には音楽が一切流れない。
主人公は声を発することができない。スヴェタたちは、全編にわたり手話で会話をしている。そう、音楽を流しても彼女達には聞こえないのだ。そんな彼女たちの心を音楽で表現しようとするなんてナンセンスでしょ?そんな監督の意志が伝わってくるような気がした。
で、その代わりなのかは分からないが、この映画は、カメラ長回しのシーンが非常に多かった。スヴェタの行動を淡々と写すシーンがほんとに多い。セリフがあるわけでもなく、何かが起こるわけでもなく、我々の想像を手助けしてくれる音楽もなく、スクリーンは、ただずっとスヴェタを映していた。
そんな実験的な作品でもあったが、自分は主人公の判断をどうしても理解することができなくて とても居心地が悪かった。この居心地の悪さこそ、自分が偽善者だという何よりの証拠なのではないか、という思いに囚われ、なかなか手厳しい映画体験でした。
ラストシーン、スヴェタの言葉が、この作品を力強く包む。半ば強引とも思える最後だったが、この作品を締めるには最も相応しいであろうベストなセリフで、こりゃ凄ぇな!と膝を打った。いやはや、世界に凄い映画が沢山あるなあ。ほんと力強い作品でした!ブラボー!
【スヴェタ】 #東京国際映画祭 #TIFFJP #eiga http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=27
七色息子、映画、小説、音楽、演劇、漫画、アイドル
トーク情報- 七色息子
七色息子 見城さん、ありがとうございます。余計なお世話だなんてとんでもございません。おっしゃる通りです。今の自分は綺麗事の中だけでしか生きていません。現実を生きなければと、ずっとずっとモヤモヤモヤモヤしながら未だ夢の中で生きています。
昨夜、感想を書きながら、朝、自分の感想を読み直しながら、その自分の情けなさに途轍もなく惨めな気持ちになりました。それが事実です。
「夢から醒めて見る夢こそが人間を成長させる。」
夢の中で、妄想と自慰行為の傍ら、一時の安易な自己嫌悪の後に、変わりたい、変わりたい、成長したい、成長したい、と口先だけで言い続けている私にとっては、途方もなく遠く感じてしまう言葉です。
「歪んだ像を結ぶ鏡を自らの手でぶち壊す勇気を持って欲しい。」
その勇気、その覚悟が、今の私にはありません。でも、今のままそれで良しとは微塵も思っておりません。
虹を消します。夢を消します。自分の吐いた血へドの中から言葉を絞り出します。
本当に私はダメダメですね。見城さんの言葉が、嬉しくて嬉しくて、また夢を見てしまっています。
それではいけません。精進致します。
歪んだ像を結ぶ鏡を自らの手でぶち壊します。
見城さん、こんな何処の馬の骨とも分からない私に言葉を掛けて下さり、本当に有難うございます。 七色息子 見城徹見城徹 吉本隆明著 1952~53
「分裂病者」
不安な季節が秋になる
そうしてきみのもうひとりのきみはけっしてかえってこない
きみははやく錯覚からさめよ
きみはまだきみが女の愛をうしなったのだとおもっている
おう きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
きみはそのちいさな肺でひとりの女をではなく
ほんとうは屈辱にしずんだ風景を抱くことができるか
きみは火山のように噴きだす全世界の革命と
それをとりまくおもたい気圧や温度を
ひとつの加担のうちにとらえることができるか
きみのもうひとりのきみはけっしてかえってこない
かれはきみからもち逃げした
日づけのついた擬牧歌のノートと
女たちの愛ややさしさを
睡ることの安息と
秩序や神にたいする是認のこころと
狡猾なからくりのおもしろさと
ひものついた安楽と
ほとんど過去の記憶のぜんぶを
なじめなくなったきみの風景が秋になる
きみはアジアのはてのわいせつな都会で
ほとんどあらゆる屈辱の花が女たちの欲望のあいだからひらいた
街路をあゆむのを幻影のようにみている
きみは妄想と孤独とが被害となっておとずれるのをしっている
きみの葬列がまえとうしろからやってくるのを感ずる
きみは廃人の眼で
どんな憎悪のメトロポオルをも散策する
きみはちいさな恢復とちいさな信頼をひつようとしていると
医師どもが告げるとしても
信じなくていい
きみの喪失の感覚は
全世界的なものだ
にんげんのおおきな雪崩にのってやがて冬がくる
きみの救済と治療とはそれをささえることにかかっている
きみのもうひとりのきみはけっしてかえってこない
きみはかれが衝げき器のヴォルテイジによってかえると信ずるか
おう それを信じまい
きみの落下ときみの内閉とは全世界的なものだ
不安な秋を不安な小鳥たちがわたる
小鳥たちの無言はきみの無言をうつしている
小鳥たちが悽惨な空にちらばるとき
きみの精神も悽惨な未来へちらばる
あわれな不安な季節め
きみが患者としてあゆむ地球は
アジアのはてに牢獄と風てん病院をこしらえている七色息子 七色息子七色息子 見城さん、ありがとうございます。余計なお世話だなんてとんでもございません。おっしゃる通りです。今の自分は綺麗事の中だけでしか生きていません。現実を生きなければと、ずっとずっとモヤモヤモヤモヤしながら未だ夢の中で生きています。
昨夜、感想を書きながら、朝、自分の感想を読み直しながら、その自分の情けなさに途轍もなく惨めな気持ちになりました。それが事実です。
「夢から醒めて見る夢こそが人間を成長させる。」
夢の中で、妄想と自慰行為の傍ら、一時の安易な自己嫌悪の後に、変わりたい、変わりたい、成長したい、成長したい、と口先だけで言い続けている私にとっては、途方もなく遠く感じてしまう言葉です。
「歪んだ像を結ぶ鏡を自らの手でぶち壊す勇気を持って欲しい。」
その勇気、その覚悟が、今の私にはありません。でも、今のままそれで良しとは微塵も思っておりません。
虹を消します。夢を消します。自分の吐いた血へドの中から言葉を絞り出します。
本当に私はダメダメですね。見城さんの言葉が、嬉しくて嬉しくて、また夢を見てしまっています。
それではいけません。精進致します。
歪んだ像を結ぶ鏡を自らの手でぶち壊します。
見城さん、こんな何処の馬の骨とも分からない私に言葉を掛けて下さり、本当に有難うございます。- 七色息子
七色息子 見城さん。有難うございます。
見城さんのメッセージに対して「はい。分かりました。頑張ります。」と二つ返事で御返答させていただくのだけは憚られます。だからと言って、今の自分の言葉で熟考してみたところで、今の自分が絞り出す言葉は、どれも見当違いになってしまいます。それがとても歯痒いです。悔しいです。惨め以外の何ものでもございません。その申し訳なさに、今は嗚咽しか出ません。嫌なことばかりです。自分勝手で、ズル賢くで、不条理で、本当に嫌なことばかりです。そう思ってしまう自分が何より嫌で嫌で堪りません。そのすべてを受け入れます。そのすべてに晒されます。そのすべてになります。漆黒の父になるための、宿命と戦うための、そこからが始まり。覚悟致します。
…やはり、今の私は、上っ面な言葉しか発することができません。本当に申し訳ございません。見城さんのメッセージに応えることができるほどの 自分の言葉を見つけます。必ず見つけます。
見城さん、本当に有難うございました。