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「誰かのためにプロジェクト」応援!(仮)
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しのちゃんとジオラマの話⑤終 「しのちゃんと被災地のこども達」 2016年3月末、ジオラマは九州のHKT48劇場に展示される事になった。 ジオラマは当初から、HKTのファンの皆さんの熱い支援や協力があった。 そうしたファンの方々は被災地である岩手沿岸まで足を運んで下さったりしてくれていた。 こども達はいつかジオラマをお世話になった九州まで、みんなの感謝の気持ちを込めて展示運ぶのが大きな夢の一つになった。 HKT48劇場さんはもう閉鎖まで時間がなかった。そこでこども達の夢を知った運営スタッフさんが実現してくれる機会を設けてくれたんだ。 この旧HKT劇場での展示は、こども達だけではなく、オレにとっても忘れられない大切な人々との出会いになった。 出会った人達はみんな素晴らしく、優しく、それぞれのメンバーさんへの想いに溢れた人達だったんだ。 この時の展示会にはメンバーさん達も見学してくれた。その中にしのちゃんが居た。 しのちゃんはこの日、劇場に用はなかった。だが、ジオラマを見に来るだけの為に来てくれたのだとファンの皆さんの前で打ち明けてくれた。 しのちゃんはファンの皆さんと一緒に、ジオラマを見学した。じっと見て笑ったり、写真を撮ったりしてくれた。 それを見て、旅立つ前のこども達との会話がふと頭をよぎった。 「きっと、しのちゃんは見に来てくれるよ。そしたらキバさんはみんなのぶんまで感謝を伝えてね」 実は展示の前に、オレは運営スタッフさんから聞いていた。展示にはメンバーさんは誰も来れないという事を。 展示の期間はメンバーさん達の大半は博多におらず、また総選挙の準備や届け出が忙しく、ジオラマの展示会には来れないと聞いていたんだ。 でも、こども達にそれを話しても、しのちゃんは必ずくるよ。と言われたんだ。そして、こども達の言った通りにしのちゃんは見学に来てくれた。 オレはずっと思っていた事をしのちゃんに聞いた。どうしてそこまでしのちゃんがこども達に協力するのか、そしてこども達も必死でしのちゃんを信じて応援している事も。 しのちゃんはそこで、ある事を打ち明けてくれた 東日本大震災があった時、こども達が違う土地に一時避難やホームステイとして移り過ごす事があった。 被災地の過酷な生活や環境から逃れ、少しでも楽しい環境の土地のご家庭にホームステイをして、一緒に過ごすというものだ。当時はこうした事が本当に多かった。 しのちゃんの家庭はそこで、宮城県の被災地から来たこども達をホームステイとしてあたたかく受け入れ、共に過ごした事を告白してくれたんだ。 これを聞いて、オレの中でバラバラだったピースが全部おさまった。 しのちゃんは被災したこども達を家庭に受け入れていた、だから被災してジオラマを作っていたこども達の心情を、立場を理解していたんだ。 それはあの2015年8月のジオラマ展示会の時から、ずっとわかっていたに違いない。 それを誰にも打ち明ける事なく、被災地のこども達のために大人にはわからないように、こども達だけに向けてずっと密かにエールを送り続けていた。 そんなしのちゃんからのエールにこども達は気付いていた。知らなかったのはオレだけだった。 こども達もしのちゃんも、直接的なやり取りや会話をせず、お互いに信じあう事だけで交流をしていたのだ。 こども達はしのちゃんを、しのちゃんはこども達を、最初から信じていたという訳だ。 しのちゃんはジオラマに会ってから被災地のこども達を応援していたのではなく、そのずっと前から1人で応援をしていた。 だからジオラマのこども達は、自分達だけではなく、全ての被災地のこども達を気遣ったしのちゃんに気付いて応援した。 この後、しのちゃんと被災地のこども達のエピソードは少しづつ、大人にも知られていった。 秋物語の歌のツバメとポスターのこどもは、お互いに言葉を交わさなかった。だがお互いを想い、そばに居続けようと約束をした。 今もしのちゃんはこども達に愛され、応援をされている。しのちゃんもまた、応援してくれる人の気持ちに応えようと、悩みながら考えながら毎日を過ごしている。 しのちゃんもこども達も、年齢的にはそんなに離れてはいない。 オレから見れば、世間的に見ればこどもだ。しかし、こども達やしのちゃんは真剣に生き抜いて、不器用ながらも大切な事を真っ直ぐに伝え続けている。 こども達は言う、しのちゃんが自分のチカラで必ず会いたかったこども達に会う日がくるよ!と。 オレはそれを聞いて、夢を信じ続ける事、そのために誰かを信じ続ける事はいつか必ず、望んだ真実と再会にたどり着くのだろうと思う しのちゃんとこども達の物語は、きっと再会した時が本当の未来へのスタートなのだと、オレは信じて止まない。

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