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TETSUO

上記はMrs.Green Appleの歌詞の一節なんだけど、そのような「幼児性」というものが自分を支えてる様な気がする。   そんなことを考えてたら、昨日たまたま聴いたラジオ番組の中で、狂言師で俳優の石田淡朗さんが、平野啓一郎さんの著者「私とは何か(個人から分人へ)」を取り上げていて「家族といる時の自分」「会社での自分」そういう分人というのは同意できるが、平野さんの見解と違うところは「分人の集合値が自分なのではなく、核となる自分というものがあるのではないか?か弱いものであっても存在していてほしい。じゃなきゃ、全てが芝居になってしまい、戻ってくる場所がなくなってしまう。そしてそれは幼児性の様なものだと思う」と語っていた。 めっちゃわかる〜って思った。

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