藍こんにちは☁ 拍手ありがとうございますm(_ _)m 四国は来週金曜日位に台風が やってくるみたいで 何も無かったらいいのですが💧
望月輝子の755習慣
トーク情報- 望月輝子
望月輝子 「たった一人の熱狂」トレーニング、
【32】現実と格闘しろ
常に仕事とは格闘してきた思う。
ただ、その道一筋ではないので専門的に極めているものは自分にはない。
今の建築業は、今までとは違って地域密着型を目指しているため、いかに地域の人と関わっていって信頼という認知度を高めなければならない。
それゆえ商店街や地域活動など、何をするにも本気で取組む必要があり、✖️✖️地域に望月あり、という長く活動すれば誰でも築けるミニマムな世界を今目指している。丸6年経つが、【32】より、仕事に結びつくことを考えながら地域貢献の取組みをしていく、このバランスは絶妙で非常に大事だなと痛感した。格闘せよ。押忍‼︎ - 望月輝子
望月輝子 「たった一人の熱狂」トレーニング、
【34】理念なんかいらない
筋を通す生き方を徹底的にされてきた見城さんにとって、起業は自ら望んだことではなく苦渋の選択。人生でさえ、この世あらざる道ゆく見城さん。そこには常に、熱狂と圧倒的努力、GNOという誠実さがある。シンプルにわかりやすく伝えられているが、その言葉一つひとつには、見城さんがすべて、これでもかこれでもかと血肉化されてきたことなので凄みと重みがある。#34まで再読して自分が実行に移したことは、シンプルに今の仕事に打ち込むために店を捨てた。次は圧倒的な年間売上を叩き出すことだ。押忍‼︎ 望月輝子 三上雅博三上雅博 20歳くらいで大阪へ修行に行き、22歳くらいで北海道に帰った。
大阪で初めて結婚して、あっという間に離婚した。籍を入れてからまさか半月でのスピード離婚だった。
北海道に帰り、22歳頃から2回目の結婚をする24歳頃までの約2年間が人生で最も闇に堕ちていた時期だ。
僕はもともと地元で有名な鮨屋にいたので小樽で顔が効いた。大阪から小樽へ帰ってきたものの鮨屋同士で横の繋がりが強い街なのですぐに鮨屋に面接に行くのは気が引けた。
鮨と活魚を扱う海鮮料理屋にひとまず身を置いた。
この時期は飲みに行くと必ず血が流れた。
そんな生き方をしていると色々な事件が起こる。この時期は本当の意味で狂ってた。
忘れたいほどの闇時代。
そこから抜け出せたのは子供が出来たからだ。それでちゃんとした鮨屋に戻る決意をした。そうでなければそのまま腐って死んでいた。
その闇の2年間に僕が何をやらかしたかは、また詳しくお話し出来たら良いなと思っています。
ちなみに僕はバツ2で女将とは3回目の結婚です。完全なる結婚不適合者です。- 望月輝子
望月輝子 「たった一人の熱狂」トレーニング、
【37】死ぬまで正面突破
圧倒的努力と正面突破という見城さんの言葉は極めて重厚であることを#37を再読し、認識を深めた。
もうこれ以上、#37について何か言葉にすることは私にはできない。今の見城さんをつくりあげた地獄のような道程すべての原点は、この#37にあると感じているから。軽々しく2つの言葉を口にしてはならない、今朝そう思った。
そして、自分の心に弱さを感じた時は、この#37を開き、自分の道を進んでいく。
この泥があればこそ咲け蓮の花。押忍‼︎