みいこ見城先生! すいませんm(._.)mm(._.)m つい勝手な妄想をヤジコメしてしまいましたm(._.)mm(._.)m スルーしてくださいm(_ _)m 好きな人たちについ勝手に身内みたいな思いになってしまってm(_ _)mm(_ _)m 決してAKBGをdisってるわけではありません。せめてAKB本店兼任して欲しいなあ、と。今だと事務所は一律、よしもとで。それでも良いのかもしれませんが。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 ⬆︎ 僕の本を何冊もよく読んでくれて、有難う。バー・ラジオは最初に出来た神宮前の1st・ラジオと、2nd・ラジオと呼ばれていた南青山2丁目の店はとっくの昔に次々と無くなりましたが、南青山3丁目の3rd・ラジオは今もひっそりと営業しています。オーナー・バーテンダーだった尾崎さんは今は京都に住み、時々、3rd・ラジオのカウンターに立つようです。坂本龍一と初めて会ったのも、楠田枝里子と毎夜飲みに行ったのも1st・ラジオでした。
坂本龍一と朝まで飲み明かすことの多かった広尾のピュルテもとっくの昔に閉店しました。布袋寅泰、甲斐よしひろ、高中正義、吉川晃司、森雪之丞、山下久美子……。ミュージシャンたちの溜まり場でした。
たぶぅーがバーテンダーをしていたル・クラブも楠田枝里子とよく行きました。
たぶぅーは無口な紅顔の美少年。いつも優しく微笑んで僕たちを迎えてくれました。
あの頃のバーには僕の疾風怒濤の時代が刻まれています。見城徹 削除されたユーザー削除されたユーザー 僕は、本当に、755にこんなハマるとは思っていませんでした。
愚直に、とにかく息遣い…ヤジコメしてくれる方の息遣いとか、ため息とか、足音とか胸の鼓動とか。
そういうものをなんとかして感じ取ろうと。
でも、絶対にまやかしや小手先は止めようと、思って。
思った事を返してきました。
それも、即興で返すので不愉快だったこともあったと思います。
この人勝手だなとか、傲慢だなと思ったこともあったと思います。
だけど、僕はその時の自分をそのまま、愚直に、返して、きたんです。
それが、一つの本になってしまったというのは、僕の中でも、奇跡のような事です。
そして、みなさんとこういう交流を持てたということは、僕にとっては、ものすごく重かったことです。
でも、やっぱり1日最初は2時間、3時間になり4時間、4時間半になる、っていう風になってくると、やっぱり僕にとっても重荷でした。
だから、まあとにかく一旦は止めようと、いう風に思って、今回3月31日で止めさせてもらうことになりました。
でも、みなさんのことは正直に言って、すごく気になります。
皆さんが、どういう風に生きているんだろうと。
どういうことに悲しみ、どういうことに喜び、どういう風に有頂天になって、どういうことに絶望するんだろうっていうことに関して、僕はものすごくやっぱり、耳を澄ませていたい、という風に思います。
だから、トークだけは消さないで…いや、トークって今までのトークは消します。たぶん。わかんないけど31日になんないと。
ただ、みなさんのを見ていたいな、とは思います。
ここまで7ヶ月間僕を、夢中にさせてくれた、みなさん方に、感謝します。
そして、この7ヶ月間を僕は絶対に忘れません。
死ぬ、数秒前に、755のみなさんのことは、必ず、思い出すと、思います。
僕はここで終わりますけれども、みなさんも僕の人生も続きます。
だから、どこかで誰かが見ているし、どこかで誰かが愛しているし、と思って、自分の人生を生ききっていただきたいと思います。
戻って来ることがあるかもしれないし、無いかもしれません。
とにかく、ここまで、僕に付き合ってくださって、ありがとうございます。
何を言っていいか、わかりませんけれども、最後に一言、言えるとするならば、その人の人生は、その人にしか無いものなので、その人らしい人生を、生きてください。
僕は、見ています。
ありがとうございました。」