見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 この本を最後にして高瀬は編集者を辞めるばかりか、社長の座を退くと聞きました。
もう一度、言わせてくれ。高瀬よ。僕はこうやって生きてきた。
いや、こうやってしか生きられなかった。
君はどうだったのか。君の最後の仕事がこの本であることを僕は誇りに思う。
そのようにして、「編集者という病い」は、今ここに、在る。
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これは太田出版から出版した拙著[編集者という病い](文庫は集英社)の序章の最後の文章である。そうなのだ。僕は今、僕がここに在るようにしか生きられなかった。別の人生などあり得るはずがないのだ。人はたった一つの人生しか生きられない。だから、喜びも悲しみも、歓喜も絶望も、満足も後悔もある。それをちゃんと受け止めて、また歩き出すしかない。選択の連続の毎日を暗闇でジャンプするしかない。
太田出版の社長だった親友の高瀬は既に逝ってしまった。死は全ての人を平等に無に還す。
その最後を目指して僕は泣きながら匍匐前進する。見城徹 MIKAMI 女将 三上喜穂子MIKAMI 女将 三上喜穂子 事実は小説よりも奇なり、という事がたくさんあるように思います。
お店のネタバレになるかもしれませんが
税理士さんに、経営状況を見て三上の給与はいくらくらいが妥当なのか伺ったら、
「8万円です」と言われた日のことは忘れられません。私が、高い魚買うからだよーとからかって笑いました。
ところで私の給与は?と伺ったら、「8万円です」と言われて、怒りました。笑
しかもそこから税金で引かれました。
ほとんど休みなく朝から晩まで働いているので、他でパートでもした方が良いのですが。
仕込みを丁寧にすることはもちろん、鮨屋にとって魚代にお金をかけることがどんなに大切なことかと思いましたので、そこに賭けました。豊洲市場で一箱しかない高価なものがうちにある事がよくあります。
一般的にはお金が大切だと思うので、私たちのように自分たちの身を削ってまではできないんじゃないかなと思い、三上の努力と、このやり方なら日本一になれるかもしれない、と思いました。
日本一とは烏滸がましいですが、今は、唯一無二のお店を地道に一歩ずつやっていきたいと思っています。
一生懸命誠実に頑張っている職人が日の目を浴びる事が私の喜びです。