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ちっちゃな頃から潤ちゃん

【潤ちゃんのリインカーネーション〜コロナショックをぶっ飛ばせ!〜】#212 ダイジェスト▽一実さんへの感謝▽実家暮らしの転勤族 #212 2021年9月19日日曜日 「東海オンエアのてつやに推しと結婚するためのアドバイスを今こそ貰いたい潤ちゃんです!」 M1「風に吹かれても」欅坂46 オープニングは潤ちゃんが来週本社から産休で欠員が出る支店へ異動になった話。入社した時の支店で引き続き総務経理でいられるのはホッとしたものの長期出張を含めこれで入社6年で5度目の転勤に「実家暮らしの転勤族」というパワーワードが飛び出す。「今リスナーデビューするならこれラジオネームにしたい!こういう事あるから下手に勤務地の近くで一人暮らし出来ないのよ。」 初めて一年以上お仕えした上司に本社最終日に会社で送別会を開けない分お昼を奢ってもらった潤ちゃん。最初は経理知識ゼロで大変なこともあったけど来て良かったと話しました。 色々ありながら新卒で入った会社を辞めない理由として「この会社で出会った人達とお別れしたくないから」と言う潤ちゃんがそんな人達と出会うきっかけになった高山一実さんとのエピソードを含めて今日はお送りします。 今日は高山一実さんへの感謝を込めての放送。 高山さんとの出会いは2013年頃だったそう。 最初は親しみやすい感じの美人な人だなと思っていた潤ちゃん。 2013年12月の乃木どこで放送された運動テスト回、バーに直進していった伝説の高山背面飛びの回で年齢が出た時に年上だと思っていたのが同い年だと判明!クイズ好き山口百恵や中森明菜に憧れている昭和キャラだと知りブログを最初から読んで本格的なかずみん推しになる。 それから毎回ブログに番組の感想や近況をコメントするようになり2014年の秋から冬にかけてかずみんブログで始まったコメント紹介で時々取り上げてもらい自分の言葉が誰かに届いているんだと感じた潤ちゃん。 2015年就職活動を始める時にブログのコメント返しでテレビやラジオの世界に挑戦する背中を押してもらい、どこも決まらず大学卒業後ニートやフリーターになるしかないと思っていた時にまたコメント返しで励まして貰った事を今でも忘れられないと語り、直接会ってお礼を言いに行こうと決意してから2週間で今の会社に就職を決める。「一実さんもあの頃ドラマやライブで3ヶ月ほど休みが無くて大変だったんだよね。それでも自分の心配をしてくれた。」初めて行けた幕張メッセの乃木坂全握で初めて直接一実さんの姿を見た時の曲が「太陽ノック」 握手会では「はじめまして!就活応援して貰ったちっちゃな頃から潤ちゃんです。無事決まりました!」と初対面。「ああ~良かったぁ〜」とかずみんに言って貰えました。 M2「太陽ノック」乃木坂46 最初は直前でも取れた握手券が次第に取れなくなり、乃木坂自体も市民権を得ていく姿を間近に見ていた潤ちゃん。そんな中で忘れられない一実さんのある日の握手会の姿。「握手会って控室からメンバーがブースに出てくるんですけど一実さんは出てからブースに入るまでずっと一実さんなんですよ。本当に裏表ないんですよね。売れてもずっと!」 もう一つ印象的な出来事としてNHKラジオ「らじらー」の件を語る潤ちゃん。 かずみん出演回らじらーのエンディングで番組の感想と一実さんに出会って各地のイベントへ行き人柄に触れて人生が劇的に変わった旨のメッセージが採用され、「もちろん知ってます!よく来てくれてラジオにもメールしてくれて」と一実さんが潤ちゃんについて語ったのです!一実さんへの想いは届いていました。 そんな家族や友人恋人とも違う特別な人一実さんに悔いの無いように日々感謝を伝え続けてきた潤ちゃん。「一実さんと出会うまでは本当にクズな人間だったんだけど一実さんに出会って一実さんのようになりたいと思い、人に感謝して優しくなれた。一実さんのお陰で今の自分がいる。一実さんには返しきれないものを貰いました」 卒業曲「私の色」についてはこれまでの10年が詰まった曲。一実さんが自分の色に悩みながら歩んできた10年の曲。一実さんの良さが溢れている。自分の10年と重ねてしまう所があり、背面跳びや一実さんにオススメされて以来千葉に行くと必ず買うという銚子電鉄の濡れせんなど細かいところでも思い出が込み上げてくると語り、「あ〜一実さんのことは30分じゃ収まらないよ!」と涙ながらに締めくくった潤ちゃんでした。 M3「私の色」高山一実 次回は通常放送ラスト回です!

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ちっちゃな頃から潤ちゃんのトーク
トーク情報
  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    削除されたユーザー削除されたユーザー

    いま、乃木坂のグループLINEを退会しました。いやー寂しくて泣いてます。

    そしてここ755も
    1時間後くらいに
    アカウント削除しますね^^

    まだ先のこと決まってませんが
    いったんはInstagramのみになるかと…
    今までありがとう!

    コメント、DM、Twitterの #kazumingram  楽しみにしてるね☺️
    じゃ、またね!

    480
  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア
    カフェテリアです。 明日の「生島ヒロシのおはよう一直線」にメール出してみるのも良いかもです。 「昨日の山崎怜奈さんの印象どうでしたか?」みたいな。私も気になってます。

    マスターこんばんは。

    今日の生島さんとのお話は山崎怜奈さんにとっても非常に勉強になる事が多かったと思います。

    早速おはよう一直線にメールしました。

  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア高架線のカフェテリア

    #1585『山崎怜奈論 Break a leg』前編

    2022年6月13日(月)13:01
    TOKYO FMの生放送にて
    山崎怜奈、乃木坂46卒業が発表された。

    彼女がその決断に至る迄の3年間を振り返ると共に、これからの山崎怜奈の航海にエールを。

    (2021.9月改訂版)

    人気アイドルグループ『乃木坂46』を大きく2つに分けると、それは「選抜・アンダー」という枠組みになるだろう。「選抜」という存在は主に「メディア組」でTVのレギュラー番組、そして音楽番組に呼ばれる組のこと。そして「アンダー」はそれ以外での活動、または選抜の代打出演を担当する。だが、その根底を覆したメンバーが居る。それが山崎怜奈である。これまで「選抜=メディア組」であった定説を、アンダーである彼女がひっくり返したのだ。彼女は如何にして今のポジションへと辿り着いたのか。その歴史を紐解いて行く事にする。

    そんな山崎怜奈は約3年前、
    乃木坂46を辞めようと決意を固めていた。


    山崎怜奈。1997年5月21日(25歳)
    東京都出身。慶應義塾大学卒業。
    乃木坂46第2期生。れなち・ザキさん。
    2022年7月17日を以て乃木坂46を卒業。

    2013年3月、乃木坂46第2期生オーディションに合格。だが当時は研究生からのスタート。自分のキャラじゃないけど客観的に人気が出るのは「アイドルらしく」居る事。その為の努力は何でもした。時に同期から「ザキはあざといね」と言われる程に。彼女もまた王道アイドルを目指していた。そして2年後に正規メンバーへと昇格出来たものの、アンダーでの恒例のポジションは3列目の一番端。それでも頑張ろうと思った。大好きな勉学もちゃんと努力すれば頑張った分だけ結果は必ず付いてくる、そう信じてたから。そして2017年3月、念願だったアンダー初フロントに選ばれた。握手会でも全30部をフル完売する事が出来た。ようやく乃木坂の活動に少しだけ自信を持てた瞬間であった。

    そんな矢先のこと。

    2018年1月アンダーベストAlbum「僕だけの君」の個別握手会。その全会場で全完売を達成したのは寺田蘭世・山崎怜奈の2名であった。そして、同年4月の20th.Single「シンクロニシティ」にて寺田蘭世は選抜復帰。だが、山崎怜奈の名前は呼ばれる事は無かった。乃木坂に入って、初めて完全に心が折れた。自分に出来る事は何でも取り組み、握手会で結果も出したのにその努力は報われず目の前のボーダーを越える事は出来なかった。何が正解か分からなくなった。ただ思うのは「私は乃木坂に必要のない人間なんだ」という自己否定。同期の渡辺みり愛に泣きながら相談した事もあった。眠れぬ夜も続き、悩んだ末に出した答えは「卒業」の選択肢だった。それを運営にも伝え許可を貰い、当時大学3年生であった為、一年後の就職活動に向けて情報収集や資料を集める程その決意は固まっていた。そして2019年、乃木坂46の4th.Album「今が思い出になるまで」ではいずれの収録曲にも呼ばれず。その頃には悔しさより「参加してないのに宣伝だけしてる私って何なんだろう」と虚しさだけが漂っていた。そして気付いた。私は乃木坂でもなくアンダーでもない"じゃない方"なんだと。

    だが救いの糸が舞い下りる。2019年5月、ひかりTVにて初の冠番組「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」がスタートした。この番組の話がなかったら、卒業発表していたと語る。趣味にしていた歴史の番組MCを担当出来る喜び、そして何よりこんな私を必要としてくれる番組スタッフへの恩返しがしたいと、一回一回の収録の準備を寝る間も惜しんで取り組んだ。番組は一年に渡って続き、終了後も同スタッフと共に「乃木坂46山崎怜奈とおはつちゃん」がスタートし徐々に山崎怜奈=MCとしてのイメージが定着する。

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア高架線のカフェテリア

    #1586『山崎怜奈論 Break a leg』後編

    そしてここから、
    彼女の大躍進の足音が鳴り響く....

    2022年現在。山崎怜奈の現在のレギュラー番組はTOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」が週に4本、CBCラジオの箱番組「乃木坂46山崎怜奈の推しの1コマ」、テレビ朝日「春菜ザキさんのただの通販じゃねーよ!」、そして準レギュラーとも言えるテレビ朝日「クイズプレゼンバラエティーQさま‼︎」。つまり週7本のレギュラー出演をこなしており、まさに乃木坂のメディア組筆頭とも言える存在になった。加え2021年2月には初の書籍「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん」を発売。6月には27th.Singleのアンダー楽曲「錆びたコンパス」で初のアンダーセンターを担当。そして8月Hanako.tokyoにてエッセイ「乃木坂46山崎怜奈の言葉のおすそわけ」、2022年1月幻冬舎plus「山崎怜奈と「学ぶ」を考える」の連載を開始した。筆者はこの経歴を書きながら改めて感じた、今の山崎怜奈はどう考えても「売れっ子」のスケジュールであると。


    それでも彼女は一度も"選抜入り"を果たせなかった。では何故、アンダーであった山崎怜奈がここまでの大躍進を成し得たのか?それは、彼女の「愚直なまでの好きという趣味への"探究心"」と「圧倒的な"準備力とレスポンス力"」の2点であると考えられる。今ここに辿り着いた山崎怜奈は、新たな武器を見つけ磨き上げ独自路線を開拓したというより、元々あった「歴史・クイズ・ラジオ」という趣味に傾倒する道を選んだという言い方が正しいのかもしれない。より等身大を曝け出す事で。勿論、ここに辿り着くまでには多くのトライ&エラーを繰り返した。多い時で週25番組をチェックする程のラジオ好きな彼女はリアルタイムでトークアプリ755を更新し、それがきっかけとなり番組に呼ばれる機会も増え、それらの点は線となり、気が付けば昼ワイドのパーソナリティーを任され、今では多くのレジェンド達にも認められる程にラジオ界をザワつかせる期待の新星となっている。

    多人数グループであるが故の宿命「選抜=勝ち組」というこの15年の習わし。それは乃木坂46も例外ではなく「選抜メンバーとして運営に認められ活動し広くに顔と名前を売り、それがきっかけで個人としての仕事に繋がって行く」がこれまでの方程式であった様に思う。だが山崎怜奈は「決して選抜だけが、夢を叶えられる道ではない」と新たな生き方を提示してくれた。そんな彼女の功績は大きい。

    乃木坂46加入から9年半。今の山崎怜奈を見ていて思うこと。大切なのは、自分以外の何かになるのではなく、自分の持っている何かを追求する事。そして彼女の生き様は教えてくれる

    「立ち止まってるより 前へ進め」

    "かつての"じゃない方
    バナナマン設楽、オードリー若林
    南キャン山里、博多大吉、麒麟川島....
    今では揺ぎないポジションを確立しており
    寧ろ業界を牽引する存在にすら成っている。

    もしかしたら、彼女もまたそんな存在へと成り行くのではないだろうか。もしかしたら選抜、いやセンターが世間に与える影響を、今の彼女の活躍は成し得ていたのではないだろうか。私はそう確信している。

    山崎怜奈とは、下町の万華鏡。
    流行りじゃないけど価値あるもの
    多面性があり、色んな角度から見ると
    その本当の輝きに気付く。

    そしてその魅力は常に変わり続ける
    彼女が覗く景色は、きっと美しい。

    相変わらずめちゃくちゃ不器用でも
    どこにいようと何歳だろうと関係なく

    そのコンパスの先は、彼女らしく輝く。

  • ちっちゃな頃から潤ちゃん
    ちっちゃな頃から潤ちゃん
    高架線のカフェテリア
    カフェテリアです。ダレハナ面白かったですね。お時間ありましたら今夜のラジオ大阪「サクラバシ919」にメール送ってみて下さい。山崎怜奈さんの印象どうでした?とか。きっと読まれると思います。

    ダレハナ面白かったですね!

    さすがザキさんです。

    その日の夜のサクラバシ919も聴いてみましたよ〜
    メール送ってた人も多かったですね。