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三上雅博

18歳。滝の様な蝉時雨。 出前の桶を回収した後、海を見渡せる高台に寄り道をした。 小樽港にはアメリカの空母が停泊していた。 それは想像を絶する大きさだった。港全体を埋め尽くすほどの黒い巨大な鉄の塊はなんとも威圧的で、こんな街一瞬で消し飛ばされそうだなと思ったんだ。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    中学2年の時は放送委員長に立候補。3年生までずっと放送委員長をやった。
    お昼にはラジオの様に校内放送を流し、全校集会の準備をしたり、選挙期間中はスタジオ(放送室)で候補者を撮影したりしていた。下校時間には毎日アナウンス。
    僕達は放送室をスタジオと呼んでいた。笑
    放送室は僕の「居場所」だった。

    僕はいつも教室の一番後ろの席で偉そうにふんぞり返って座り、放送室の鍵のキーホルダーの輪っか部分に入れた人差し指でいつもその鍵をクルクルと回していた。
    クールにキマってると思い込んでた。笑
    思い出しただけで面白恥ずかしい。

  • 三上雅博
    三上雅博

    中学校の卒業式で、クラスでたった一人だけ号泣していた奴がいた。
    それが僕だ。引くくらい泣いた。
    第二ボタンは誰ももらいに来てくれなかったからグラウンドに全てのボタンを力一杯投げ捨てた。帰り際、校門の前で待っていた後輩の女子達がボタン下さいと言ってくれた。嬉しすぎた。
    すでにボタンは捨ててしまってボタンの類いはもう何もついてないので、手に持っていた通知表と筒に入った卒業証書とポケットに入っていたリップクリームをそれぞれに渡した。そのまま校門を出てすぐに煙草に火をつけた。深く煙を吸い込み、ため息の様に吐き出して学生生活の終わりを実感した。

  • 三上雅博
    三上雅博

    天気も悪いので極端に数が少ない。
    値段を先に見てしまったらきっと買えない。驚愕の数十万円/kg。

  • 三上雅博
    MIKAMI 女将 三上喜穂子MIKAMI 女将 三上喜穂子

    玄奘三蔵
    (後の三蔵法師)が、天竺を目指して向かっている途中、通る道でそれぞれの国王に引き留めらるので、なかなか天竺に行くことができないのですが

    その場所その場所で説法を行ったり良い行いをすることで、足留めをされていたように見えたことも結果国王や周りの人たちに助けられ、誰も行くことごできなかった天竺へ到達する。