削除されたユーザーどこまでが鉛筆なのか?そんなものに決まりはありません、本質ではないからです、鉛筆という予定観念などは存在せず、人間が勝手に設定した決まりだけがあるのです。色鉛筆の芯は鉛筆とは異なりますが、鉛筆と呼ばれています。本質は関係ないのです。生命にも同じことが言えます。ここまでが生命、ここからが生命などと言う本質的な決まりはないのです。ですからそこに定義はなく、定義がないので証明もできません。
哲学カフェ「生きる意味とは?」
トーク情報- RAM
RAM 削除されたユーザー生きている定義を考えてみると、科学的な理由(心臓がいているのか?など)が一番真っ当理由付けになるんじゃないかなーと思います。 あとは、自己認識の世界じゃないかなと。 ただ、その生きている事の証明となると、それは自分よがりな思想になってしまつので、そのステージでは他者の観測がどうしても必要になってくると考えています。 我々はひょっとしたら水槽に入った脳なのかもしれませんし。生きていることの定義は心臓が動いているなどの医学的根拠に準ずるべきと考えていらっしゃるんですね。
ただし、生命の存在の客観的証明となるとやはり不可能なように思えて、それについて考えること自体ができないというのがネックに感じていらっしゃるみたいですね