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ただ生きる。意味なんてあるのかな。

コメントありがとうございます。もしかしたら意味なんてないのかもしれませんね!

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哲学カフェ「生きる意味とは?」
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    生きていることの証明は難しいとして、生きていることの定義とは一体何なのでしょう?
    最初から定義とまではいかなくても、我々が生きていると認識するとき、それは一体どんなものなのでしょう?

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    削除されたユーザー
    生きている定義を考えてみると、科学的な理由(心臓がいているのか?など)が一番真っ当理由付けになるんじゃないかなーと思います。 あとは、自己認識の世界じゃないかなと。 ただ、その生きている事の証明となると、それは自分よがりな思想になってしまつので、そのステージでは他者の観測がどうしても必要になってくると考えています。 我々はひょっとしたら水槽に入った脳なのかもしれませんし。

    生きていることの定義は心臓が動いているなどの医学的根拠に準ずるべきと考えていらっしゃるんですね。

    ただし、生命の存在の客観的証明となるとやはり不可能なように思えて、それについて考えること自体ができないというのがネックに感じていらっしゃるみたいですね

  • RAM
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    削除されたユーザー
    やはり、生者と死者がお互いに実はこうなんだよ!と伝えあうことができれば、すぐ解る問題だと思うのですが、なかなかそう上手くはいかないようによく出来たシステムだなーと思います。

    コメントありがとうございます

  • RAM
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    削除されたユーザー
    生命の存在の証明。というのは、論ずるに値しないことだと私は思います。なぜなら証明というのは定義ありきのものだからです。定義があるから証明できるのであって、定義が曖昧なものを証明することはできません。

    コメントありがとうございます。
    生命の存在の証明は生命の定義が曖昧であるために論じることが出来ないんじゃないかという意見ですね。

  • RAM
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    削除されたユーザー
    そして、定義と言うのは人間が勝手に設定するものであって、そのものの本質を捉えているものではありません。くだいて言うと程度問題なのです。例えば鉛筆で考えると、鉛筆を少しずつ削ってゆき、残り3センチになってもそれは鉛筆といえるでしょう、では更に削っていき、僅かな芯に僅かに木がくっ付いているようなものになったら、それを鉛筆と呼べるでしょうか?おそらく呼べないでしょう。

    コメントありがとうございます

  • RAM
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    削除されたユーザー
    どこまでが鉛筆なのか?そんなものに決まりはありません、本質ではないからです、鉛筆という予定観念などは存在せず、人間が勝手に設定した決まりだけがあるのです。色鉛筆の芯は鉛筆とは異なりますが、鉛筆と呼ばれています。本質は関係ないのです。生命にも同じことが言えます。ここまでが生命、ここからが生命などと言う本質的な決まりはないのです。ですからそこに定義はなく、定義がないので証明もできません。

    コメントありがとうございます

  • RAM
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    削除されたユーザー
    生きるとは、その人の生計や嗜好の背景にある自我そのもの。物や人と接し自分はどのような関係にあってそれをどう感じるかを学び取り、また、それを認識できた時、その人は生きていると定義できるのでないでしょうか。つまり、花が綺麗だと感じる時、ニュースを聞いて憤慨する時、その要所要所で私は生きている。なぜならば、自分の感じる感覚は過去の経験や信仰心、ポリシーとそれとの交わりによって生じているから。

    コメントありがとうございます。わかりやすかったです。

    様々な形の意見があって楽しいですね。

  • RAM
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    かな
    ただ生きる。意味なんてあるのかな。

    コメントありがとうございます。もしかしたら意味なんてないのかもしれませんね!

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    塩キャベツ
    その問いに関して絶対的な答えというものはないと思います。ただ私の個人的な見解というか生き方としては、今をそれなりに楽しく生きていけばいいと思います。過去にとらわれず、未来に恐怖を持たず、今を一生懸命生きてそれで満足です。

    コメントありがとうございます。今を一生懸命生きることは素敵なことですね。簡単ではないように思いますが。

  • RAM
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    塩キャベツ
    完璧は不可能だと思います。学問でもそうした証明が出てますので。一生懸命を目指してそれなりに生きればいいと思います。

    コメントありがとうございます。