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こうたのトーク
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  • こうた
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)
    削除されたユーザー
    妹はご飯を食べるときなどちょっとしたこと全てに とても幸せそうな顔をします。 口癖のように 『自分の為に人を想い、日常の幸せを噛みしめ感謝をすれば幸せになれる』 と、自分が恥ずかしい。 自分勝手で今あるものに感謝をせず 悲観し妬み閉じこもる。 妹の方がかなり大人です。 妹とは別の家で育ち別の環境で育ち お互いを見て来て居ます。 愚痴のような話しをタイミングも考えず 申し訳ありませんでした。

    まずは、ゆうきさん。
    こんなお話を、頑張ってお話してくださって本当にありがとう。自分のことをさらけ出して話すのは、身を切るようにつらいことですよね。貴方の勇気に、敬意を表します。

    貴方の口調から、強い妹さんへの愛と尊敬を感じ、同時に貴方自身への激しい自己嫌悪を感じました。

    ちょっと私のお話をさせて下さい。
    私は十代の頃、本当に勉強が嫌で苦手で仕方がなかった。でも兄貴は天才でした。すいすいと勉強し、ハマり、文系なのに私に数学を教えてくれました。たいして勉強もしてないのにめちゃくちゃデキる兄貴が羨ましかった。同じ時間、同じ内容を勉強しても記憶も理解もまるで違う兄は、箱根登山鉄道みたいな私と比べてまるで新幹線みたいでした。
    結局私は2年間も浪人して、フーフー言いながら地方の医学部に合格するのがやっとでした。兄なら、現役で軽く受かったところです。貴方の妹さんのように、私にとっても兄は輝いていた。
    親も学校の教師も(同じ中学・高校でした)みんな、「お兄ちゃんは優秀なのに」と私に言ってきました。
    しかもタチが悪いことに、そんな兄貴は、私をすごく大切にしてくれた。愛してくれた。ちくしょう、これじゃあ恨めないじゃないか。

    「たとえ兄弟でも、一卵性の双子でも、二人はまったく別の人。別のキャラで、別の趣味で、別の考え方をして、別なふうに生きていい。」

    そんなことに気付いたのは、大学に入り兄と遠く離れてからでした。
    人との比較になんの意味もないこと。強いて言うなら、おてんとさまに見られて恥ずかしくないように。
    私は今、最も美しく孤独に生きた18,19歳の自分に恥ずかしくないよう、生きていきたいと思っています。
    貴方は、貴方でいい。人の倍時間がかかったって、汗だくになったって、いいんです。

    偉そうに、ごめんなさい。
    つい、あの頃の自分を見ているようで…。

  • こうた
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)

    「天才について」

    GWが始まったのだが白衣を着ている。ふと考えた。

    天才って確かに存在する。同じ時間同じ量を勉強して自分の倍以上の理解と暗記をした奴がいた。ちらりと読めば写真のメモリのように頭にインプットされる奴がいた。各駅停車で走る自分の横を新幹線が通るように、すっ飛んで行った。

    勉強が苦手だったから、いつも羨ましかった。父も兄もそういう人間の一人だったし、あの高校や大学にも何人もそういう奴がいた。
    だけど天才には天才なりの苦悩があったのかもしれない、と最近思うようになってきた。
    そりゃあもちろん一秒でも早く目的地に着いた方がいいに決まっているし、なるべく最短距離で行った方がいい。それは絶対に間違いない。
    でも、鈍行で止まる無人駅の吹きっ晒しのホームに咲いた蒲公英を見たり、線路の途中にある踏切のカンカンカンという流れる音を聞いたりは、出来なかったかもしれない。
    天才でない自分にはその過程の全てがあった。何度聞いても漸化式を理解できなかったし、英単語はロクに知らなかった。でも基本的には(光速に近い速さで運動していなければ)天才も僕も同じ時間を過ごしているので、天才が1日で走り去ったところを5、6日かけて歩いた僕は、その道すがらの景色を間違いなく飲み込んでいたんだろう。記憶力も異常に悪いから何度も行った店の場所も憶えられないし、100回はお邪魔したやなちゃんちの部屋番号もまだ憶えてないし、何度か挨拶した人に「初めまして」と言ってしまう。
    だけど毎度毎度人より多い手順で答えに達するということに、そこに時間がかかるということに、たまに豊潤さを感じるのだ。いつもタクシーで通る道をゆっくり歩いてみたら、ミクロな発見があるのだ。そう、時に肉眼像よりも顕微鏡で見た臓器の方が雄弁な様に。

    天才が、スーパーマリオのジャンプ台でビョーンと画面の上まで高く飛ぶ。僕は一つ一つブロックを持ってきて、ピラミッドみたいになるように重ねて積んでいく。登れるように、きちんと段々にして積んでいく。

    僕はブロックを積みながら、上がるにつれ広がる視界と、上空を流れる風を体に感じていく。少しずつ、少しずつ。僕は積まれるブロックに想いを馳せる。
    その頃ジャンプした天才は、もう次のジャンプの準備をしている。彼らは風が吹いていることにも気付かないし、ブロックも想わない。必要が無いからだ。
    ただ、高く高く。高みを求め続ける。
    過程なき天才は、果てしない高みに登ったらどうするのだろう。その意味もピンと来ず、実感も湧かずに。世の中にそういう人は必要だし、天才のおかげで僕らはずいぶん便利にさせてもらっている。けど、ちょっと天才が不憫だ。過程なき高みに、幸せが実感できるとは思えないから。

  • こうた
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)
    削除されたユーザー
    先生こんばんは🌛先生、お医者さんに聞きたい質問が沢山あって…病院に通っているからですかね( ⋅ ̯⋅ )💭病院に行くと横を通る白衣を着ているお医者さんや少し違う服を着た外科医の先生を見ると「あぁこの人達は頑張りやさんですごく努力したんだろうな」って思います。先生、お医者さんになるまで,なってからどんなことが辛かったですか?すごく努力されました?うまくまとめられず変な質問ですみません😖

    みのさん、こんばんは^ ^
    辛かったこと…
    私は勉強が嫌いで嫌いで、2年も浪人してしまいました。そのせいかどうかはわかりませんが、一つの恋を失い、その2年はテレビも何も見ず全ての趣味を停止していました。ですから色んな趣味を失い、歌や芸能人なんかもわからなくなっちゃいました。
    でもそんなことはともかく、辛かったのは、「孤独」です。この世に何も役に立たず、ほぼ誰とも繋がらず、未来どころか一寸先も闇でした。
    時々すごく寂しくなり、私は横浜駅の駅前で一人何時間も座って過ごしました。孤独を胸いっぱいに吸い込みながらね。

  • こうた
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)

    今年も母校・聖光学院(福島じゃなく神奈川)で高1生に話をしなさいと、当時のサッカー部顧問(今は副校長)からお達しあり、明日行ってくる。
    そういえば母校はドラゴン桜の舞台になったらしい。

    スライドをkeynoteで作っていて思う。どうしても、あの時代を思い出すだけで感情的になってしまう。
    あの時代。
    誰にも負けたくないのに、誰にも勝てる気がしなかった時代。
    多動過ぎて授業など聞いていられず、成績が低迷しずっと学年で180位/220人だった時代。
    授業中窓から見える横浜の港に、心を飛ばしてしまっていた時代。
    何も努力することなしに、「自分は将来どうなってしまうんだろう」と思い悩んでいた時代。

    安心しろよ、うまくいくから、なんて気軽に言えない。これまで自分が辿ってきたイバラの道を、中山少年に伝えるのは忍びない。
    そして当時の僕より成績が優秀な聴衆の8割くらいに、どんな顔をして話せばいいのか、やっぱりわからない。

    当直明けのくぐもる頭でさんざん悩んだあげく、やっぱり「あの頃の自分」に話すことにした。今はひと学年50人も東大に行くらしいから、きっと苦しいヤツもたくさんいるだろう。そんなヤツに、ひとこと「自由に生きていい」と言いにいこう。