ログイン
詳細
前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    思考の原基がない人はGNOがない。場面、場面でブレるからその場の自分の都合でGNOなどすっ飛んでしまう。ただ、こういう人は薄っぺらだから最初からGNOの概念など殆どないんだけどね。

    1
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    He is a twenty minutes squash boy.
    彼はタフガイだ、という意味だ。スカッシュの試合をを20分やるほどのタフガイ。20分やったら汗が滝のように出る。スカッシュの試合をやりたいなあ。僕はスカッシュには少々自信がある。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    たまに襲われる朝の漠たる不安。自分はこれからどうなるのだろうか?不可能を可能にし、結果を出し続けているじゃないか、と自分に言い聞かせても、次からは上手く行かなくなるという不安が理由もなく押し寄せる。崩壊の予感。あらゆる手を打っているのに、全てが無駄なように感じる。全てに自信を失くす、朝。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    文豪ゲーテが鬱屈した母国ドイツから1年半をかけて光り輝くイタリアを旅したのは37歳〜38歳の時である。その詳細な記録は[イタリア紀行]にまとめられているが、それを読むといかにゲーテが南イタリアに憧れていたかがよく解る。落ち込んだ時は海外旅行に限ると思って来たが、今年はそれが不可能だ。鬱憤晴らしは旅以外に何があるだろうか?旅以上のものはないと思うのだが…..。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    消えてしまいたい、と時々思う。それは、死んだら楽になる、とはちょっと違う感覚だ。
    [微笑みながら消えてゆく]は僕がカドカワ時代に作った銀色夏生の単行本のタイトルだが、「あばよ」と小声で呟いて黄昏の中に微笑みながら消えてゆく、そんなイメージ。死までの数年間、殆どの人と連絡を取らずに思い定めた地で静かに暮らす。檀一雄のサンタ・クルスみたいにね。僕が21歳の時に選び取った俗世間の戦場にサヨナラの挨拶を。微笑みながら。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    名作[月山]を書いた森敦さんを思い出す。随分と可愛がってもらった。22歳の時[酩酊船]で突如文壇に現れた早熟の天才。放浪生活を続け、62歳で[月山]にて芥川賞受賞。静かな無頼の人だった。市ヶ谷のお宅に伺って、檀一雄や小島信夫の話をよく聞いた。芥川賞受賞後に縁組した養女と2人暮らし。不思議で素敵な晩年だった。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ お三方、有難うございます。
    [大河の一滴]は44年前の僕の五木寛之さんに対する25通の手紙から始まっていることは確かです。それがなければ僕は五木さんと知り合っていないのですから。僕はどうしても五木寛之さんと仕事をしたかった。その熱狂だけで毎回徹夜で手紙を書いていました。23年前、幻冬舎を創立して4年ぐらい経ったある日、僕は部下の石原正康と共に五木さんと食事をした後、場所を変えて3人でお茶を飲んでいました。その時、五木さんが自分に言い聞かせるように静かに語った話が発展して[大河の一滴]の出版は決まったのです。[大河の一滴]の「あとがき」にその出版の経緯は書かれています。一冊の名作が世に出るきっかけは不思議に絡まる運命の糸に導かれていると今になって強く思います。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    ↑2020年5月~見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。