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時代の趨勢と民衆に翻弄されたボクシング世界ヘビー級王者たち[レビュアー] 村田諒太(WBA世界ミドル級チャンピオン)
いまでこそルールは確立されているものの、ボクシングの黎明期だった17世紀後半から半世紀ほどはグローブを着けずに拳で殴り合う「ベアナックル・ファイト」が主流で、1試合30ラウンドということも珍しくない。目潰しや噛みつきなど何でもあり。1867年にグローブの着用を義務付ける「クインズベリー・ルール」が確立するまでは、まるでケンカのようだった。
必然的に闘いは凄惨になったが、それゆえに観客は熱狂の度合いを強めていく。大衆にとってヘビー級王者は文字通り「地上最強の男」であり、著者は当時の様子を〈その人気と知名度はアメリカ大統領に匹敵すると言われた〉と紹介している。
不幸なことに、アメリカでは何世紀にもわたって極端な白人至上主義が続いた。ボクシング界も例外ではなく、白人王者は人種の違いを理由に黒人ボクサーの挑戦を拒否できる「カラーライン」という制度があったほどだ。それだけに、第五章以降で詳らかにされる、1908年黒人として初めてヘビー級王者の座を手にした「ガルベストンの巨人」こと、ジャック・ジョンソンの人生はとくに目を引く。
ジョンソンはタイトルを得たことで白人社会から敵と見做されるが、彼はそれを意に介さず、むしろ挑発するかのように、当時タブーだった白人女性との交際や結婚を繰り返した。白人ボクサーとの対戦では常に相手を蔑むように笑顔を見せ、「なんて弱いんだ」「これが白人ボクサーか」と煽ったという。結果、謂れなき罪で投獄される憂き目にも遭うが、その姿は約半世紀後にベトナム戦争への兵役を拒否して王座を剥奪された、モハメド・アリの姿と重なって見える。
「地上最強の男」たちは民衆から畏敬の念を集めたが、黒人王者は肌の色を理由に蔑まれ、苛烈な差別との戦いを強いられた。著者の〈長い間、「世界」は白人たちが支配してきたが、二十世紀に入って、国際社会においてもスポーツの世界においても、有色人種が彼らを脅かす存在になりつつあったのだ〉という指摘に、僕は思わず涙ぐんでいた。
「グレート」と呼ばれる人間は、時代の趨勢に逆らってでも自らの意志を曲げはしない。彼らがリングに上がり続けた直接的な理由は様々だが、根底には僕と同様、“生きるにはこれしかない”という強烈な覚悟があったはずだ。そんな先達たちの生き様を描いた本書は大いなる“歴史書”であり、僕に“ボクサーを生きる”ことの原点を確かめさせてくれた。
百田尚樹 on Twitter https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1321068080571641857?s=12てんあつ 見城徹見城徹 ↑ 百田尚樹[地上最強の男]を読んだ時、僕はあまりにこの著作に圧倒されて、言葉も出なかった。僕のボクシング愛など何ほどのこともない。元ボクサーで現在は大ベストセラー作家の精神と肉体の膂力をまざまざと見せ付けられた。その時、僕は二度とボクシングのことは口しまいと決めたのだ。僕の語って来たボクシングなど自意識過剰の単なる自己満足に過ぎない。そう思い知らされた。
こうして今、書いているのはWBA世界ミドル級チャンピオン村田諒太のレビューに激しく心を揺さぶられたからだ。特に最後の8行は村田諒太が現役の世界ミドル級チャンピオンであるだけに腹に効く。[地上最強の男]という圧倒的な百田尚樹の著作の中で黒人初の世界ヘビー級チャンピオン[ジャック・ジョンソン]について書かれた5、6、7章は白眉であり、村田諒太を強く刺激し、感動させたことは間違いない。[地上最強の男]には100年にわたるアメリカの絶望と歓喜、葛藤と栄光が、ボクシングを戦う男たちの人間ドラマの中に見事に描かれている。これ以上のボクシングの本はもう二度と出て来ない。そう断言出来る。