aki42中学生時代の事ですが嫌なことや今で云うところの鬱っぽくなった時には、清水港線の電車(ディーゼル車ですよね)に乗りにいきました。僅か10キロもない距離の往復ですが、三保で降りて松原ではなくて、真崎灯台の方へ缶ジュース片手に港の方を眺めてぼーっとすると癒されました。三保マリーナの小型ボートに憧れて後に小型船舶免許を習得したのですが、三保は良い所ですね。社長様も何度も乗ったのでしょうね。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 藪医師とは僕がやり始めたばかりの755で知り合った。ただ熱心に755に投稿する都立駒込病院の無名の外科医だった。毎日のように午前中は消化器(特に大腸)の悪性腫瘍の手術をし、午後の診療勤務が終われば時にかなりの量の酒を飲み、それ以外は原稿を書いることが755から伝わって来た。僕のトークにやじコメして来ていて、僕も返信していたのだが、ある日、原稿を送りたいと言って来た。やむなく了承し、読んでみると書かずにはいられないものを抱えていることがよく解った。これはモノになると直感した。幻冬舎に来てもらって初めて会い、その原稿を手直しの上、出版することになった。それが[幸せの死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと]という藪医師こと中山佑次郎のデビュー作になった。その後、ベストセラーとなった[医者の本音]や処女小説[泣くな 研修医]などを矢継ぎ早に出版、医師としても福島県双葉郡の高野病院の院長を経て、今は福島県郡山市の総合南東北病院の外科医長として活躍している。藪医師と僕の関係は755がなければ成立しなかった。藪医師の結婚披露宴では僕が新郎側の主賓としてスピーチをした。
755の奇跡だと僕は思っている。