秋元康僕も人脈を作ろうとする人が苦手です。無理に紹介してもらって、名刺を交換して、人脈ができたと勘違いする人と友達にはなれません。やじコメをくださった方が勘違いなさっているのは、僕は“意図しない出会い”から付き合いが始まるということを表現する時に、「ドミノ倒し」を使ったのだと思います。“意図しない出会い”の連鎖を、人は客観的に人脈と言うのでしょう。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 えんじゆの並木路で 背をおさえつける
秋の陽のなかで
少女はいつわたしとゆき遭うか
わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには
きつとわたしがみえない
すべての明るいものは盲目とおなじに
世界をみることができない
なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき
彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい
裏切られた生活かとおもう
けれど それは
わたしだ
生れおちた優しさでなら出遭えるかもしれぬと
いくらかはためらい
もつとはげしくうち消して
とおり過ぎるわたしだ
小さな秤でははかれない
彼女たちのこころと すべてたたかいを
過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を
たべて苛酷にならない夢を
彼女たちは世界がみんな希望だとおもつているものを
絶望だということができない
わたしと彼女たちは
ひき剥される なぜなら世界は
少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで
求愛の贈物のように それがすべてだそれが
みんなだとうそぶくから そして
わたしはライバルのように
世界を憎しむというから
ーー吉本隆明[少女]見城徹 見城徹見城徹 ぼくはかきとめておこう 世界が
毒をのんで苦もんしている季節に
ぼくが犯した罪のことを ふつうよりも
すこしやさしく きみが
ぼくを非難できるような 言葉で
ぼくは軒端に巣をつくろうとした
ぼくの小鳥を傷つけた
失愛におののいて 少女の
婚礼の日の約束をすてた
それから 少量の発作がきて
世界はふかい海の底のようにみえた
おお そこまでは馬鹿げた
きのうの思い出だ
それから さきが罪だ
ぼくは ぼくの屈辱を
同胞の屈辱にむすびつけた
ぼくは ぼくの冷酷なこころに
論理をあたえた 論理は
ひとりでにうちからそとへ
とびたつものだ
無数のぼくの敵よ ぼくの苛酷な
論理にくみふせられないように
きみの富を きみの
名誉を きみの狡猾な
子分と やさしい妻や娘を そうして
きみの支配する秩序をまもるがいい
きみの春のあひだに
ぼくの春はかき消え
ひょっとすると 植物のような
廃疾が ぼくにとどめを刺すかもしれない
ぼくが罪を忘れないうちに ぼくの
すべてのたたかいは おわるかもしれない
ーー吉本隆明[ぼくが罪を忘れないうちに]