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見城徹

20代、30代の頃から母校や編集者の学校などから講演を頼まれ、40代、50代では企業や公共機関からの講演依頼が圧倒的に多くなった。60代の今では毎日のように講演の依頼が来る。そのほとんど全てをご辞退して来たが、稀には仁義や恩義、義理があって引き受けさせていただくこともある。しかし、この7、8年で講演したのは電通、テレビ朝日、TBS、家庭教師のトライ、静岡県立大学、東北芸術工科大学、ぐらいだ。その全てに強いGNOがある。母校の静岡県立清水南高校では全部で3回しているが、これは僕にとっては特別だからだ。お引き受けすると直ぐに主催者側の担当者や責任者が挨拶と打合せを兼ねて訪ねて来てくれて、今まで行き違いや不愉快なことなど一つもなかった。 講演というのは基本的には自分の自慢話だと思っている。自分がどう考え、どう生きて、どのように仕事をして来たのかを話すのだから、自慢話にならざるを得ない。僕はそれが嫌なのだ。講演が終わった後の2日ぐらいは自己嫌悪で胸が一杯になり仕事にならない。それが僕の講演を断るたった一つの理由である。 それを覚悟して強いGNOがある依頼者の講演は引き受ける。 今回は依頼者側が全てに無神経に過ぎた。他者への想像力など一片もない。多分、このまま不愉快さを我慢して強行すれば、当日もっと最悪なことが起こった気がする。やめて良かった。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2025年2月18日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2021年8月26日の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    この季節になると[京味]の「鱧鍋」を食べたくなる。9月の下旬から10月の初旬。鱧が消える頃、松茸が出始める。淡路島の鱧と丹波の松茸。京都ではこの2つが重なる日は10日ぐらいしかない、と[京味]の西健一郎大将は言う。8月末になるとその10日間のどの日にするか?と西健一郎大将から電話が入る。2階の個室をキープするのだ。そうやって45年間毎年[京味]で鱧鍋を食べて来た。鍋の前の料理も全て鱧と松茸。僕は鱧も松茸もそんなに好きではないのだが、1年に1回は[京味]で「鱧鍋」を食べて来た。それを夏が終わり秋が来る通過儀式としていたのだ。2年前からそれは無い。大将は亡くなり、「自分がカウンターにいない店は『京味』ではない」と言う生前の言葉通りに[京味]は閉店した。8月が終わりに近付くと西健一郎大将の電話の声を思い出す。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2021年8月の親父の投稿のリトークです。

    前にこの話を直接親父に聞かせて頂きました。夏の終わりに約10日間ほどしかないと言う鱧鍋の季節。沢山いらっしゃる常連様の中でもきっと限られた数名の方にしかお声がけできなかった事とお察し致します。親父と「京味」西健一郎大将の深い繋がりが、この「鱧鍋」のお話で痛いほど伝わります。
    僕も人生で一度でいいから「京味」で西健一郎大将の料理を体感してみたかった。
    生前にお会いできなかった事が心残りです。
    後悔ばかりの人生です。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
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    ジムの後、久しぶりに松五郎へ。
    月曜休みなの忘れてたけど、迎え入れてくれた。ありがとう

    森さん藤井らとは久しぶりに話した。
    見城さんの話も出たし、755初期からもう10年以上経ってて、思い出話に花が咲いた。

    そのせいか夢に見城さん出てきた笑
    おはようございます