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見城徹

基本的に極端をやれば顰蹙を買う。顰蹙を買わなければ常識は覆らない。と思った方がいい。つまり、常識とは支配者が決めた価値観だ。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    出席者全員の真心がこもった最高の結婚披露宴でした。主賓スピーチをさせてもらいましたが、
    新婦を子供の頃から見続けて来た僕としては
    涙無しには喋れませんでした。

  • 見城徹
    吉田真悟吉田真悟
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    今日は44年前の角川映画『野獣死すべし』を観ていた。
    松田優作とか鹿賀丈史は若く精悍なのに泉谷しげる氏は今と変わらない事に驚愕してしまった。化け物だな

    『蘇る金狼』はまだ原作を思い出しながらついて行けたがこの『野獣死すべし』は全く原作からかけ離れて破茶滅茶で意味不明な映画であった。

    以下Wikipediaより↓
    本作の場面描写には抽象的な点が多く、特にラストシーンは日本映画の中で最も難解なシーンのひとつとされている。解釈には「待ち伏せていた警官隊により狙撃され死亡した」「伊達の狂気が生み出した幻影」「突発的にフラッシュバックを起こし、錯乱した」など諸説あるが、公式に明示された例はないため、結論は得られていない。
    この印象的なラストシーンは、脚本のラストから大きく変えられており、撮影の途中で、主演の松田たちが自分のやりたいように改変した結果であるという。この件について、映画監督の大島渚は評価し、原作者の大藪春彦は何も言わなかったが、「客が納得して帰るのが娯楽映画」と自負する製作者の角川は激怒し、渋谷東映での初日の舞台挨拶が終わったら、主演の松田を拉致して、渋谷のガード下に連行するよう、角川書店の武闘派社員2人に命じていた。ところが劇場内が客で満員だったとの報告を聞いて矛を収め、未遂に終わった。


    武闘派社員のうちの1人は思い当たる。😅

    2
  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 後年、松田優作とは一緒に飲んでいて殴り合いになりそうになったが、何とか回避した。
    南フランスにも一緒に行ったし、映画[竜二]に主演した金子正次を巡っても色々とあったが、実際に殴り合いになったことは一度もない。なれば確実に負けていた。それは自信がある。松田優作はメチャクチャに喧嘩に強かった。

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。イルカの[なごり雪]を聴いています。高校を卒業して東海道線清水駅から合格した大学のある横浜市日吉の下宿に向かう汽車を初恋の彼女と待っていた55年前のシーンが重なります。彼女は同じ高校の1学年下。中学時代からずっと憧れた人でした。卒業直前に勇気を出して告白し、卒業式の日に高校の前の海岸を三保の松原に向かって歩く初デート、2人の付き合いは始まったばかりでした。大学入学までの短い期間、毎日のように逢い、夢のように時間は過ぎて行きました。清水駅のプラットフォーム。彼女と手を繋いで立ち尽くしながら、涙がとめどもなく流れました。たった4ヶ月の別れが永遠にも思えたものです。[なごり雪]の「ふざけすぎた季節のあとで」の歌詞が胸に刺さります。
    [なごり雪]とは状況は違いますが、あの清水駅のプラットフォームを思い出し、「ふざけすぎた季節」の感慨に浸っています。

  • 見城徹
    見城徹

    糞!遠くまで来たくもないのに、遠くまで来た。
    薄汚れた大人になった。少年が男になり、子が父になる。王子が王になる。成熟すること。薄汚れること。それが人生だ。それでも行くしかない人生。I Will Go to War!

  • 見城徹
    ikutamaikutama

    日光東照宮の三猿「見ざる言わざる聞かざる」は幼少期の場面を表し、生きるために弱い自分を守る姿。
    私はまだ幼少期の猿のようで、なごり雪の「ふざけすぎた季節」の中にいる。世の中の痛み、将来の痛み本気で向き合えていない。自分を守るために境界線を引き続けている。
    「薄汚れること。それが人生。それでも行くしかない人生」。そんな思いをしながら、世の中を支える人達がいる。755を通してそれを自覚する。

  • 見城徹
    ケントケント

    見城さんの高校時代の思い出を読んでいるうちに、忘れていた私の淡い思い出が蘇ってきた。
    高校3年生の時に付き合い始めた彼女は病院のお嬢さんで、彼女は東北地方の歯科大学に合格した。東京の大学に合格した私と、大学に入学までの春休みは毎日のように会って、ただ喫茶店で取り留めもなく話し続けていた。会っているだけで楽しい日々だった。いつも、その頃流行っていたコモドアーズの曲が流れていた。そして、入学で別れる時彼女は手紙と湯呑み茶碗を私にプレゼントしてくれた。たしか、日本茶とコーヒーどっちをよく飲むのと聞かれて日本茶と答えて、彼女は湯呑み茶碗を選んでくれた。彼女はお母さんと一緒に東北の大学へ行く電車の中でずっと泣いていたと手紙をよこしてくれた。そして、大学が始まってからも毎週末彼女は私の東京の部屋まで訪ねてきてくれた。しかし、私は大学でできた仲間とサーフィンに夢中になり週末もサーフィンに行きたくて、彼女が東京に来ることを、何度か断っていた。彼女から別れようと切り出された時には、私には東京で出会った彼女がいた。きっと彼女も彼氏ができたのだろうと勝手に想像していた。
    そして、相当の時が過ぎ、彼女のお母さんが亡くなられたということを人伝に聞いて母親思いだった彼女のことを思い出した。そして、彼女の名前で歯科クリニックを ネットで検索したら同姓同名の歯科医が都内でヒットした。私のオフィスからも近くだったので、一度予約して治療に行った。診察室にいたのは大人のキャリアウーマンの女医の姿をした彼女だった。私のことも気がついてどうしてここがわかったのと驚いていた笑。彼女はもう泣き虫のか細い少女ではなく、色々な人生経験を経てきた逞しい女性に変貌していた。それから、歯の治療で診療所で会うだけの関係が今も続いている。お嬢様だった彼女が東京で一人?たくましくクリニックを経営しながら生きている姿を見続けていきたいと願っている。今もコモドアーズのメローな曲が流れると彼女との淡い青春の日々が甦る。

  • 見城徹
    投稿画像


    見城さんが行かれた
    ラーメン茂治にて「チキン南蛮」。
    たっぷりとタレを乗せて、ご飯と一緒にかき込む。

    「旨い」と声がでてしまった。
    この瞬間が全てであった。

    「食と人生」は、しばしば同列に語られることがある。
    はたして、僕自身は人生の出会いにおいて、このような感情を抱かせることはあるのだろうか?
    と、そんな感情が頭をよぎった。

    ご飯の付け出しで麻布十番のお店の塩辛などを頂いた(写真の小皿)。
    僕が755で「ラーメン茂治」さんについての投稿を見城さんに伝えたことのお礼で。(従業員の方)

    見城さんのお陰で、美味しい食事と楽しい時間を過ごすことができました。
    ありがとうございました。