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見城徹

好意で貸したのに金を返さない人との交渉は辛い。結構大きな額だ。逃げ回っていた人とレストランの個室でお茶を飲みながら2時間話した。 返済期限を5年は過ぎている。相手はただひたすら頭を下げるのみ。返せないのか?返さないのか?どちらにしても事実は僕に返って来ないというだけだ。諦めて外に出た。貸した金は戻らなくてもいい。その覚悟がなければ金は貸せない。 そう思って貸した金だ。しかし、痛い。寒風が胸に沁みた。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
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    ↑ 拙著[編集者という病い]に収録されている「アイ・アム・ミスター・エド」。自分でも好きなエッセイです。

  • 見城徹
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    静岡新聞の僕の連載コラム[窓辺]の第6回目です。
    『エド』(2019.2.11掲載)

    20年程前、熱海に温泉付きリゾートマンションの1室を持っていた。
    最上階の角部屋で地中海と見紛うような景色が見渡せて、一目で気に入った。
    森村誠一さんが「人間の証明」で人気絶頂の頃から各社の担当編集者が集合する会が年に2回盛大に熱海で催され、毎回出席していたので土地勘もあった。週末は熱海で過ごすことが多くなった。中華の「壹番」、フレンチの「カフェ・ド・シュマン」、洋食の「スコット」、しゃぶしゃぶの「はまだ」等によく通った。
    丁度、エドと名付けたシェットランドシープドッグを飼い始めたところだったのでエドとよく街を散歩した。フランス・ニースの海浜公園を彷彿とさせる海岸沿いをトレーニングも兼ねてエドと走った。子供の頃、飼い主夫婦の夫だけに喋る馬が主人公の「アイ・アム・ミスター・エド」というアメリカの連続ドラマがあって、大好きだった。だから馬に似た犬種で、いつか喋ってくれるという期待を込めて名前もそこから頂いた。走り終わった後、海を見ながら海浜公園のベンチに座って、傍らのエドに仕事の愚痴や人生の感傷を話しかけたものだ。エドはついに喋ることもなく15歳でこの世を去った。
    マンションは6年程で売り払ったが、何人かの作家が熱海に住んでいることもあって時々、熱海を訪れる。
    海岸に足を伸ばす。ベンチに腰をかける。あの頃、エドは僕を励ましてくれる一番の親友だった。目を閉じると熱海の海にエドの姿が浮かんで来る。

  • 見城徹
    あさふみ(浅井智文)あさふみ(浅井智文)
    投稿画像

    ↑ 本日もアップありがとうございました。愛犬エドと言えば、「見城徹 編集者 魂の戦士」の写真、「編集者という病い」を思い出します。コラムに書いてあるように、「仕事の愚痴や人生の感傷を話しかけたものだ。」見城社長にとってのエドの存在の大きさ、そして「編集者という病い」を読み返し、訓練場での出来事もエドにとっての見城社長という存在の大切さを感じられるエピソードでした。そして見城社長と関わる多くは本当に深くて濃いと感じます。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    エドのことを想うと今でも涙が出る。亡骸が焼かれる時、胸を掻き毟って大声で泣いた。あんなに辛いことはなかった。もうこんな別れはしたくない。命あるものを飼うと必ず別れが来る。僕は生きものを二度と飼わないと決めた。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    ↑2020年2月~見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。