ログイン
詳細
見城徹

NIAGARA TRIANGLEの[オリーブの午后]を聴いている。 何もいらないよ 君が横にいればいい 丘の斜面には ライムの花とクローバー 時を抱き寄せて 海はコバルトに光り 君を照らした 作曲は大瀧詠一、作詞は松本隆。 堪らない。40年前も堪らなかった。今は別の意味で堪らない。人は失うために誤解に塗れて人生を生きる。僕の横には誰もいない。

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。2024年11月22日。今朝も大阪の会員制の鮨店[mikami limited 50]を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年9月の僕の755をリトークします。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    41歳で角川書店(現・カドカワ)の取締役編集部長になり42歳で独立した。本当は辞める気はなかったが、角川コカイン事件があってやむを得なかった。逮捕されて代表取締役社長を辞任した角川春樹さんには仁義を通したかった。幻冬舎を作った。無謀な挑戦が始まった。今、思うとよくやり通せたと信じられない気持ちになる。無知が幸いした。怖いもの知らずだった。圧倒的努力はしたが奇跡の連続だった。あの時、足がすくんでいたら今の幻冬舎はない。26年が経った。幻冬舎は今また分岐点に立ち、僕の人生も大きな決断の時を迎えている。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    創業して5年目ぐらいから複数の証券会社、銀行がしきりと上場を勧めて来た。僕は上場という概念すらなかったから不思議な気分だった。自分が自分の会社を上場するなんて考えたことすらなかった。全く縁がないものだと思っていたから、上場したらどうなるのかなど解りようがなかった。結局、創業9年で上場した。風景が変わった。順調だった。しかし、上場していることの窮屈さも感じていた。上場から7年が経ってMBOで上場を廃止した。丁度、60歳になったばかりだった。気が楽になった。上場を廃止して9年が経とうとしている。僕は会社のことで新たな大きな決心をした。それが会社にも社員にも一番いいと判断したからだ。リスクは僕に降りかかるが腹をくくった。
    しかし、こういう時に困難や問題は同時多発する。そう決めた途端、会社のことや大事な友人のことで決断しなくてはならない状況が起こっている。知らんぷりをすれば安全だが、それが正しい道かどうか?何をしていても気分が晴れない。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    上場している時に、実は二つの大きな出来事がありました。
    一つはかなりの規模の会社を10億で買収したが、最初の目論見に反して経営状態が悪化、民事再生にせざるを得なかったこと。つまり10億の特損が生じました。
    もう一つは経理局の社員が会社の金10億円を横領していたこと。かなりのニュースになりました。これは情けなかったし、びっくりしたし、反省もしました。
    この二つの10億円事件は上場していただけに辛かったです。
    身から出た錆ですから、誤魔化さず、正面突破で乗り切りました。

    2
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年9月の親父の投稿のリトークです。

    親父の戦いの歴史をこうして755を通じて知ることができ、大変有り難く存じます。
    そしていつもこう思います。
    「755は奇跡のSNSだ」。

    皆様、本日も宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    昨日の自分を倒すため、正気の沙汰ではいられない。僕のライバルは昨日までの僕だけだから。
    自分みたいな奴と戦うのは怖すぎる。出来るならこんな狂った奴と戦いたくない。今のままでは勝てそうにないからもっと狂うしかない。
    でも実は、勝つ方法は知っている。昨日の僕が執着しているものを手放すだけ。なるべくならしたくない方法。
    だから八方手を尽くす。それでも勝てる見込みがないのならその時は仕方がない。
    勝つために執着ひとつ捨てるだけ。
    執着の全てが空になり、もう自分に勝てなくなったら死ねばいい。

  • 見城徹
    見城徹

    今日は静岡県立清水南高校3年4組の同級会があり、担任の鈴木先生をお招きして15人で昼飯を食べる。何で平日の昼なんだろう?と不思議に思ったが、よく考えればこの歳で毎日会社に出ているのは僕だけなんだね。卒業して55年。あの頃の僕に会って来ます。