いつもユウウツ2年前の冬ですかね。 見城さんのトークに「努力に勝つものはないと思う。見城さんは何が1番だと思いますか?」というヤジコメがありました。 見城さんは「覚悟」と答えてらっしゃいました。 僕は当時、大学を辞めるか本当に悩んでいた頃でした。 あの2文字は少なからず、大学を辞める決意をしてくれたものでした。 恩着せがましくするつもりはありませんが、本当にありがとうございました(((o(*゚▽゚*)o)))
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 神宮前のバー・ラジオに毎夜のように通っていたのが夢のようだ。どうやって時間を捻出していたのだろう?一番頻繁だったのは29歳から35歳ぐらいまで。バーテンダーはオーナーの尾崎さんと大西さん。後で三浦さんが加わった。大西さんは35年ぐらい前に逝き、尾崎さんも一昨年亡くなった。とにかく一日に一回、バー・ラジオに行かなければ気が済まなかった。坂本龍一と初めて会ったのも、楠田枝里子との初めて飲みに行ったのもバー・ラジオだった。食べ物はサンドイッチとオムレツだけ。カクテルが美味しく、ワインのラインナップも凄かった。低くジャズがかかり、話し声が大きくなると「お静かにお話し下さい」と書かれたコースターが目の前にそっと差し出された。コースターのデザインは和田誠だった。後に2ndラジオが南青山2丁目に出来て、神宮前の1stラジオは密やかに閉店。引き続き通った2ndラジオも6年ぐらいで閉店し、現在の3rdラジオが南青山3丁目にオープンした。バー・ラジオ。こんなバー二度と現れないだろう。
- 見城徹
見城徹 ↑ 神宮前の[バー・ラジオ]にいたバーテンダーの三浦くんが長野県のどこかでタイ料理の店をやっているらしい。バー・ラジオを辞めた後、六本木に和食の[定吉]を経営していた時もよく通った。僕は三浦くんの潔い感じが大好きだった。
[バー・ラジオ]の大西さんは早逝してしまい、京都に隠遁したオーナーの尾崎さんも数年前に逝った。常連客だった和田誠、篠山紀信、色川武大、二川幸夫、坂本龍一(敬称略)らも今は無い。会食が終わった後、楠田枝里子と毎夜のように[バー・ラジオ]で待ち合わせて酒を飲んだ。飲まずには帰れなかった無軌道な日々。[バー・ラジオ]には僕の青春が埋まっている。それを掘り起こしに長野の三浦くんの店に行ってみたい。 - 見城徹
見城徹 いま行くべき究極のレストラン
Vol.6「GUUUT(グート)」(長野県・伊那谷) - T JAPAN:The New York Times Style Magazine 公式サイト https://www.tjapan.jp/food/17724508 https://www.tjapan.jp/food/17724508?page=5 https://www.tjapan.jp/food/17724508 https://www.tjapan.jp/food/17724508?page=5 https://www.tjapan.jp/food/17724508?page=5 https://www.tjapan.jp/food/17724508 https://www.tjapan.jp/food/17724508?page=5 https://www.tjapan.jp/food/17724508