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見城徹

篠山紀信さんの訃報には驚いた。そう言えばここのところお会いしていなかったが、迂闊にもお元気だと思い込んでいた。僕が[月刊カドカワ]の編集長だった7年間、ずっと表紙の撮影をお願いしていた。お供した韓国の旅(「輪舞するソウル」という写真集に結実)はいい思い出だ。いつお会いしても元気溌剌で刺激を沢山いただいた。 美食家でもあり、色んなレストランにご一緒した。 仕事を共にした方々がこの数年、何人も亡くなった。僕も73歳。そういう歳になったと言うことだ。その内、僕の順番が来る。光陰矢の如し。 その日までフルスロットルで生きる。合掌。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。11月30日。大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2019年11月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    幻冬舎を作って最初に決めたこと。
    ①安易な道は選ばない
    ②金のために魂は売らない
    ③恩は10倍にして返す

    最初の出社日は嵐のような大雨だった。室内に何もない四谷2丁目の雑居ビルで8名が車座になって僕が持って来たラグビーボールを廻した。運命の歯車が動き出した。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年11月の親父の投稿のリトークです。

    まるで映画のワンシーン。その場面を想像するとワクワクドキドキ、そしてゾクゾクしてしまいます。こうして決戦の火蓋は切られたのだ。戦いの幕は切って落とされた。
    そうして幻冬舎は立ち上がり、翌春に闘争宣言を掲げ6作品同時刊行。「文芸元年」を迎えたのだ。伝説の始まりだ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 2024年11月12日で幻冬舎は創立31年目を迎えた。設立登記した日は秋晴れだった。最初の出社日は大雨だった。31年が経った。42歳だった僕は73歳になった。信じられないことに幻冬舎はまだ、在る。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    僕も格好良く出陣したかった。
    いつも軍勢が雪崩の様に流れ込んできて乱戦の中でなんとか生き残っている状態だ。
    切り伏せても切り伏せても、ずっと窮地に立たされている。息は切れ、血は流れ、骨は軋み、涙は枯れる。視界は歪み、もはや痛みは感じない。絶望だけが友達だ。

  • 見城徹
    見城徹

    俺たちの船は 動かぬ霧の中を 艫綱を解いて 悲惨の港を目指しーー
           アルチュウル・ランボー[別れ]