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見城徹

↑ 傲慢だよね。でも、間違っていないと思う。 そして、放った言葉はブーメランのように自分に返って来る。では、僕は誰かに取って「何者」かであり得るのか?答えの出ない永遠の問い。例えば今日の僕はこう答える。共同体の価値観から自由になって、誰かに跪きたい。誰かに自分の全てを否定され、破壊されたい。共同体から外れて、個体の官能に全身を灼かれる瞬間。それだけが人生の意味だ。死と恍惚は紙一重だ。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    感謝しか御座いません。
    毎日親父に見守って頂けてる様で、この書を見るとどんなに苦しくても僕は立ち上がれます。
    親父には酷な言葉かもしれませんが
    後せめて「30年」は僕の鮨を食べて頂きたく思っております。

  • 見城徹
    見城徹
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    実は昨日の夜からAmazon総合ずっと3位。
    ここで今週は持ち堪えて来週は再び1位を窺う。

  • 見城徹
    MIKAMI 女将 三上喜穂子MIKAMI 女将 三上喜穂子
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    三上が座右の銘にしたいと申していました、
    「往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」

    見城さん、高倉健さんも座右の銘にされているこの言葉。
    金田石城先生の書になり、さらにその言葉の重みを感じて胸が熱くなりました。

    でも。もっと感動していたのは、
    こんなに素晴らしい大作を、こんなに大切な作品を、三上にお譲りくださった、
    見城さんの懐の深さ、器の大きさ、心の温かさ、スケールの大きさに感慨無量でございます。
    思い出すと涙が出そうになります。

    見城さんのように壮大な方になりたい!
    なりたいはおこがましいですが、でも、少しでも近づきたい!
    ただただ尊敬し、憧れています。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 僕は自分の狭量さにうんざりして生きています。ただ、真心には真心で返そうと心に決めています。三上の真心の鮨に対する僕の返礼を受け取ってくれて嬉しいです。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    重ねて重ねて人生最大の誉れです。涙
    報われないと思って生きてきました。
    まさか自分にこんな事が起こるなんて夢にも思っていませんでした。
    毎日必死に一生懸命生きてたら、こんな奇跡が起こる事があるのですね。
    晴れ渡る空の様に、心が洗われる感覚です。
    僕の中から全ての悪い感情が消えて行く。

    感謝。感謝。感謝。涙。涙。涙。
    皆様、いつもいつも有難う御座います。

  • 見城徹
    中川 剛中川 剛
    投稿画像

    2024.6.30記
    柴田哲孝・著「暗殺」
    (幻冬舎)

    想像を絶する闇の深さに戦慄し、背筋が凍る様な感覚に襲われた。どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションなのか?あまりにも衝撃的な内容だった。「世の中の事を知らなすぎだ!」と思い知らされたし、日本の中心で展開されているのだろう時代を揺るがすダイナミズムを感じた。そして、日本の稀代のリーダーを奪った銃弾に纏わるストーリーと描写は恐怖を感じるほどリアルだった。この背筋が凍る様な感覚は読まねば伝わらないだろう……
    序盤から一気に引き込まれたが、中盤も終盤も全く緊張感が解けない展開だった。序盤を読むだけでもこの小説の凄味を感じることが出来ると思う。世界に衝撃を与えたあの大事件の裏側や絶望的な闇の深さが伝わってきて、最後まで読まずにはいられなくなるはずだ。これほど衝撃を受けたサスペンスは読んだことがない。読み終えてから暫く経った今も、轟音と消えた銃弾が頭から離れずにいる。

  • 見城徹
    中川 剛中川 剛

    見城さんとお話しさせていただく度、“真心”を感じるし、その大切さを痛感します。
    昔は、「見城さんは心には心で返す方だ」と思っていたし、そう書かせていただいたこともありました。今は、「見城さんは“真心“には“真心“で返す方だ」と思っています。
    大きな違いはない様ですが、見城さんの心にはいつも感動があるし、見城さんの決してブレない姿勢(“真心”を大切にする姿勢)に見城さんの強い拘り、言わば信念を感じます。それは、上辺ではない真剣な心で、“真心“とは何なのかを見城さんから学ばせていただいています。
    私自身は全く出来ておらずお恥ずかしい限りなのですが、見城さんから教わったことは生涯大切にしていきます。見城さん、いつも感動や刺激を有難うございます。

  • 見城徹
    じょんれのん。じょんれのん。

    第1回 芥川賞の賞金
    見城徹
    「今からそちらへ行ってお前に頼みたいことがある」
     唐突な電話から2時間後、中上健次は僕の初台のアパートに居た。はじめて見る背広姿だった。ネクタイがうまく衿元にフィットしていなくて、妙な感じだったのをよく覚えている。
    「30万円貸して欲しい。芥川賞を獲ったらその賞金で借金は返す」
     なるほど芥川賞の賞金は当時30万円だった。要はこうである。酒場で喧嘩をして、傍にいた人に怪我をさせてしまった。向こうは警察に訴えると言っているが、30万円あれば示談が成立しそうだ。なんとか都合してくれ。
     金もないのに二人でつるんで飲み歩き、しょっちゅう酒場で殴り合いはしていたがこんな事件に発展したのは初めてだった。中上健次はいつになく神妙にしている。すでにフォークリフトの運転手をしていた会社はやめていて、金は常になかった。
     僕の預金通帳には50万円程があった。大学を出て入社した会社をすぐに辞めて1年間遊び暮らし、ようやく希望の出版社に就職したばかりだったが冬のボーナスがそっくり残っていた。正月にニューヨークにでも行ってみようかなどと考えていたのだが、即座にそれはあきらめた。二人で銀行へ行って30万円を引き出した。
     その時に金がある方が払うというつき合い方をしてきたから、返ってくるとは思っていなかったが、30万円は痛いな、などと去って行く中上健次の厚みのある背中を眺めながらぼんやりと考えていた。第一、賞金で返すと言ったって中上健次はそれまでに3回連続候補となり、その度に有力と言われながら落ち続けていたのだ。
     幾日かして中上健次から電話がかかってきた。事件は解決し、『岬』が芥川賞の候補になった。今度こそ自信があるなどと言うのだが、借金のことは一言も触れなかった。
    「もし、獲ったら」と一番最後に中上健次は恥ずかしそうに言った。
    「受賞第一作はお前の雑誌に書いてやるよ」
     僕が籍を置いていた雑誌は『野性時代』というエンターテイメント誌だったから、純文学の救世主みたいな扱われ方をしていた中上健次にとってはずいぶん思い切った発言だった。
    「だけど、いろんな義理だってあるだろうし、そんなことはあり得ないでしょう」
     僕は跳び上がりたい程嬉しい気持を必死にこらえながら、つとめて冷静に答え、
    「まあ、とにかくそんな話は受賞してからですよ」
    と言って電話を切った。
     年が明けて中上健次は戦後生まれとして初の芥川賞を受賞した。報せを待った銀座の小料理屋で中上健次は落ち着かず、メチャクチャに酒を飲んだ。相当酔いが廻り、そろそろヤバイなと思った頃に受賞の電話はかかってきた。中上健次は大きな身体をこれ以上できないくらい小さくかがめて、電話に向かって何度も何度も頭を下げた。泣いていた。僕も思わず中上健次に抱きついて声を上げて泣いた。
     受賞第一作というのは本当だった。中上健次はその1週間後、校了寸前の出張校正室に自ら缶詰になり、丸2日徹夜して『荒神』という80枚の小説を書き上げた。僕は今でも書き終わった瞬間に僕を見上げた中上健次のくしゃくしゃの笑顔を映画のシーンのように思い出すことができる。
     明け方の校正室で僕たちは握手をし、生温いビールで乾杯をした。
     2月に入り、授賞式が終わった翌々日だったと記憶している。朝の9時頃に中上健次から電話があった。
    「今からそっちへ行く、出社しないで待っていて欲しい」
     2時間後、中上健次は僕のアパートに居た。2ヵ月前にやって来た時と同じちょっと窮屈そうなダーク・スーツだった。入って来るやいなや中上健次はズボンのポケットから勢いよく札束を取り出した。
    「ありがとう。約束通り30万円は返す」
     そう言って深々と頭を下げた。あんなに深々と中上健次に頭を下げられたのは、後にも先にもその時1回きりである。後年、僕は何度も個人的に中上健次に金を貸したけれど、いつでも「文学の王がお前に金を借りてやる」と威張っていた。
     僕たちはそこから5万円を抜き取って酒を飲みに行った。新宿の区役所通りには昼からやっている店があって、僕たちはそこの馴染みなのだった。
     酒を飲みながら交わす小説の話は尽きることがなかった。5軒ぐらい廻って最後の店を出る頃には、もう空は白みかけていた。小平まで帰る中上健次がタクシーを止めた。乗り込みながら中上健次が怒鳴る。
    「おい、タクシー代がない」
     僕は駆け寄り素早く中上健次の手に1万円札を渡す。僕はこの上もなく満たされていた。こんな時間が永遠に続いて欲しいと心底思っていた。
     僕は25歳。中上健次、29歳。
     こんな風にして僕の文芸編集者生活は始まった。