見城徹見城徹2023年12月15日 08:37↑ その日のことは食べた料理まで鮮明に覚えている。[しの田]には薮医師と僕ともう付き合いがなくなった755の2人と行った。 時は流れる。人は出会い、そして別れる。 今も薮医師と僕は強い絆で結ばれている。 755というSNSから始まった奇跡。偶然の出会いはお互いの圧倒的努力によって必然になる。2人は一つずつ交わした約束を果たして来た。2人にとって辛い道だったが結果は出続けている。薮医師から来た755の最初のやじコメ。歯車が動き始めた瞬間。運命に従え。僕は運命に感謝を捧げる。
見城徹見城徹15時間前おはようございます。2024年11月15日。今朝も大阪の会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年8月の僕の755をリトークします。↓1390
見城徹15時間前見城徹見城徹[天よ、百難をわれに与えよ]と言ったのは中国の後漢末の武将・曹操孟徳だったか?百難を一つ一つ捩伏せてやる。辛くて苦しくて逃げたいけど、そう言い聞かせて立ち上がるしかない。曹操孟徳の言葉は[奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる]と続く。僕は天下の一雄になるなんて興味も実力もないけど、社員と友と仕事のためには百難を引き受ける。1811113
見城徹15時間前三上雅博三上雅博↑おはようございます。2019年8月の親父の投稿のリトークです。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」尼子氏の家臣「山中鹿介」(幸盛)の言葉。戦国の世で尼子家再建を三日月に祈ったと伝えられています。それを思い出しました。僕は少年時代、この言葉に胸を射抜かれました。ずっとこの言葉が僕の中に生きています。天よ。神よ。三日月よ。百難を僕に与えたまえ。僕が愛する人達のために。皆様本日も宜しくお願い致します。1117