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見城徹

僕は横尾忠則さんの自己満足に朝日新聞は利用されただけのように思えるのだが……。 勿論、書評とは批評対象をダシにした個体の表現である。この書評が表現というアート作品だとしても、朝日新聞の書評欄でやる必要があったのだろうか?しかし、こんな風に僕に考えさせているだけでこの試みは成功しているのかも知れない。 僕はこの試みを否定する。書評は読めなければ意味がない。書評はアートではない。

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